聖書メッセージ『祈りの交わり』(Ⅱテサロニケ3:1~2)

聖書箇所

3:1 終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。

3:2 また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。

 

説教要旨

今日から最後の3章に入ります。パウロは、テサロニケ教会の人々に祈りを強く要請しました。(v1)パウロは、第一次伝道旅行をすでに経験し、この第二次伝道旅行においても、今までの経験や知識や培ってきた力は、働きに役立っていたことでしょう。でも、パウロは、それらを拠り所とせず、自分を罪から救い出して下さった父なる神と主イエス・キリストご自身を拠り所としました。パウロは、自らを誇ることをいたしませんでした。イエス・キリストを離れては何もできない、神様の豊かな実を結ぶ務めに生きられないと認めておりました。ですから、祈りを要請しました。そのような砕かれたパウロを、父なる神と主イエス・キリストは、慰め、強め、用いられ、御自身の救いの働きを進められていかれたのです。

 

パウロは、ここで祈りを要請ましたが、第一の手紙においてもそうでした。(5:25)パウロは、自らのために自分で祈って終わりではなく、祈りを要請しました。パウロは祈る人、テサロニケ教会の人々は祈ってもらう人ではなく、互いに祈り祈られる関係でした。私たちも個人で自らのために祈り、父なる神と主イエス・キリストは、その祈りに応えて下さいます。しかし、それだけではなく、祈っていただく必要があるのです。牧師は祈る人、信徒は祈ってもらう人ではありません。互いに祈られ祈る祈りの交わりが、主の教会の交わりです。背後で祈る祈りには、大きな力があります。

 

パウロは、テサロニケ教会に何を祈ってもらうように祈りを要請したのでしょうか。第一は、コリントの町でも、神様の救いの働きが進められていくことでした。(v1)第二は、ひねくれた悪人どもの手から救い出されることでした。(v2)これは、身の安全のための祈りというよりも、神の御言葉を宣べ伝える働きが妨げられることがないようにとの祈りだったでしょう。すなわち、いずれも、神様の救いの働きが進められていくようにというものでした。私たちは、互いの病の癒しのため、事業の祝福のため、将来の祝福のために祈ります。しかし、それと共に私たちは、福音を伝え福音に生き、神様の御国がこの地に来ますようにと互いのために祈りたいと願います。主イエスは、「主の祈り」で、「日ごとの糧を我らに与えたまえ」と祈るよう教えられました。それとともに、いいえ、その祈りの前に、「御名が崇められるように」「御国が来るように」「御心が天で行われるように地でも行われるように」と祈るよう教えられたのです。父なる神と主イエス・キリストは、私たちの互いの祈りを聞かれ、御自身の真実にかけて応えて下さいます。(v3)真実な主は、私たちの互いの祈りを聴き、私たちを用いて神の救いの働きを進めて下さるのです。そして、聖書が告げていることは、神のお働きがなされていくことを祈り求めていくところに、天の父なる神は、私たちの日々の糧の必要をも備えて下さるお方であられるということです。主イエスは山上の説教の中で教えられました。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)」また、主イエスは繰り返し教えられました。「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。(ルカ9:24)」

 

4月を迎えていきます。私たちの歩みと働きの拠り所は、私たちの経験や力や知識ではなく、父なる神と主イエスであることを覚え、祈りながら歩んで参りましょう。また、祈られ祈る祈りの交わりの中に置かれて参りましょう。そして、私たちを通し御名が崇められ、御国が広げられていくよう自らと互いのため祈りましょう。真実な神は、私たちを悪から守り、私たちの務めを神様の栄光のために用いて下さり、それに加えて、日々の必要をも備えて下さるのです。神の国とその義とをまず第一に求め、父なる神が日々の必要をも備えて下さることを信頼し、明日の思い煩いを主に下ろし、新しく歩みを始めて参りましょう。