『主イエスの再臨』 マタイ24:1~35

『主イエスの再臨』


聖書箇所 マタイ24:1~35

24:1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

24:2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

24:4 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

24:5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

24:19 だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

24:20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

24:22 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

24:23 そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

24:25 さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

24:26 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

24:27 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

24:28 死体のある所には、はげたかが集まります。

24:29 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

24:32 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

24:33 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

24:34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。


説教要旨

主イエスが神殿を出て行かれると、弟子たちが近づき、神殿を指差し、荘厳さに目を見張りました。主イエスは、その弟子たちに神殿崩壊を予告されました。(v2)弟子たちは、神の臨在の場である神殿が崩壊するならば、世の終わりが直ぐに来ると考えました。(v3)主イエスは、弟子たちのこの考えを正され、神殿崩壊と世の終わりの時を区別され、また、神殿崩壊の予告から世の終わりの予告もされました。神殿崩壊時には、偽キリストが大勢現われ(v5)、戦争のうわさを聞く(v6)、しかし、それで「世の終わり」が来たのではなく(v6)、「気をつけて、あわてないようにしなさい。(v6)」と教えられました。また、神殿崩壊時には、民族同士、国同士が敵対し、また飢饉や地震が起こるが(v7)、それも「世の終わり」ではなく、「産みの苦しみの初め(v8)」と告げました。また、世の終わりの前兆として、キリスト者への迫害(v9)、キリスト者の棄教、キリスト者が互いに裏切り、憎み合うこと(v10)、偽預言者が多く起こり、キリスト者を惑わすこと(v11)、キリスト者の愛が冷たくなることを挙げました。(v12)そして、主イエスは、迫害や苦難の中で忍耐し、ご自身に従うよう弟子たちを励まし(v13)、福音が宣べ伝えられ、証され、終わりの日が来ると約束されました。(v14)


続いて、主イエスは、v15以降で、神殿崩壊の前兆をお告げになられました。そのような中で、偽キリストが現われるが、稲妻は誰でも分かる、禿鷹が集まっている所には死体があることは一目瞭然であると同様に、真の救い主が再び来られるときには、誰にでも明らかであるとお告げになられました。そして、最後に、主イエスは、ご自身の再臨をお告げになられます。主イエスの再臨は、主イエスに逆らう者にとっては罪に定められ、裁きの時であり、嘆き悔いる時ですが(v30)、主イエストに従う者にとっては、喜びの時、希望の時です。(v31)主イエスは、主の再臨に備えるよう弟子たちに告げ(v32~v33)、その一方で世の終わりが直ぐに来るかのごとく惑わされ、浮足立ってはならないとも教えます。(v34)そして、再びご自身がこの地に来られ、ご自身を拒む者を罪に定められ、ご自身を信じ受け入れる者を天の御国にお入れ下さるとの言葉は、滅び去ることはないと宣言されました。(v35)


「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。(Ⅰペテロ3:3、4)」との声が外から、私たちの内から聞こえてきます。サタンの働きは、人類最初から人間を、神の言葉への疑いへと導くことです。(創世記3:1)しかし、神の御言葉は、確かです。主イエスの御言葉は、滅び去ることがありません。主イエスは、再びこの地に来られ、この世の終わりが来、キリストにある者は、神とあいまみえ。神の栄光をたたえる時が来るのです。今、罪との闘いがあるのですが、罪との闘いから全く解放される時が来ます。今、私たちの肉体は弱さを覚えているのですが、罪の体が、痛みの体が贖われ、栄光の体に復活される時が来ます。主イエスは、「最後まで耐え忍ぶものは救われます。(v13)」と仰せられました。主イエスの御言葉に堅く立ち、耐え忍び、天国の希望に生きて参りたいと願います。また、主イエスは、v14で、御国の福音を全世界に宣べ伝えることを仰せられました。苦難の中で、悲しみを負いながら、神の国の福音を宣べ伝えていきましょう。独りではありません。主イエスが、世の終わりまで、いつも、全ての日々において、私たちと共にあって下さるのです。(マタイ28:20)


主イエスのご再臨を待ち望み、歩みます。浮足立つのではありません。何か特別なことをし出すのではありません。神から与えられている今日を、繰り返しにも思われる今日を、心静かに、天国の確かな希望を仰ぎつつ、地に足をつけて、神の国の福音の証しに生きる歩みへと導かれて参りたいと願います。