みことばをわかちあう会

「みことばをわかちあう会」は、聖書のみことばを共に読みながら、思ったことや感じたことを自由に話し合う集まりです。日々の生活の中で、みことばに励まされた経験や祈りの課題をわかちあい、賛美と祈りをささげる自由な交わりです。初めての方も大歓迎です。自由な交わり会にお気軽にお越しください。
みことばを分かち合う会は、第三日曜日、午後13時から15時まで行っていますが、変更になることもあります。教会内掲示板、ホームページでご確認ください。

2024年2月 みことばをわかちあう会

日時:2024年2月18日(日)PM1:00~3:00

 

聖書の箇所:マルコによる福音書7章 (第9回)

 テーマ

   ★神の戒めと人の言い伝え

   ★スロ・フェニキヤの女の娘のいやし

   ★耳が聞こえず口のきけない人のいやし

 

みことばに励まされる恵みを、共にわかちあいましょう


1月「みことばをわかちあう会」のわかちあい

1月の「みことばをわかちあう会」の恵みを、おわかちさせていただきます。

聖書の箇所は、マルコによる福音書6章30節~56節でした。

 

★5千人の給食

33節:弟子たちが寂しいところに行って休もうとしたのに、多くの人々が先回りをして、弟子たちを待ち構えていたという記述から、いかに群衆たちが、イエス様の教えに飢え渇いていたかがわかりました。

 

イエス様は、その群衆を見て、彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれんだのは何故かと話し合いました。

 

当時の宗教指導者である律法学者やパリサイ人達の信仰は形骸化しており、本来の神のご意思からは遠く離れてしまっていたため、群集は、正しい導き手を失っていたのではないか。

イエス様はその状態を深く憐れんだのではないかという意見が出ました。

 

5千人に余る人々を飽き足らせ、更に、残りのパンが12のかごにいっぱいになるほどの奇跡をなさった「イエス様の権威」と、人々の具体的な空腹という必要を満たしてくださる「イエスさまの愛」を感じました。

 

イエス様の奇跡を見た群衆が、イエス様を王にしようとしたため、イエス様は、弟子たちを強いて船に乗り込ませ、群集を解散させたという記事から、イエス様のお弟子たちに対する深い配慮を感じました。

 

★湖の上を歩かれるイエス様

ひとり、祈るために山に行かれたイエス様が、弟子たちが向かい風のために船を漕ぎあぐねているのを見て、夜中の3時ごろ湖の上を歩かれて弟子たちに近づかれたという記事から、

「わたしは決してあなたを離れずあなたを捨てない」と約束してくださっているイエス様が、私たちとも常に共にいて下さるということをもう一度確認しました。

 

ゲネサレ後についたイエス様と弟子たちのところに、病人が集まり、イエス様の衣の端にでもさわった人々はみないやされたという個所では、サタンも不思議を行うので、悪霊とイエス様の霊とを区別しなければならないこと、今もサタンは働いていることを事実として受け止める必要があるのではないかということをわかちあいました。

 

分かち合いを通して、一人では気づかないことを知ることができ、大変感謝なときでした。

来月は、マルコの福音書7章です。

初めての方も大歓迎ですので、お気軽にご参加ください。

2024年1月 みことばをわかちあう会

日時:2024年1月21日(日)PM1:00~3:00

 

聖書の箇所:マルコによる福音書6章後半 (第8回)

 テーマ

   ★5千人の給食

   ★湖の上を歩くイエス

 

みことばに励まされる恵みを、共にわかちあいましょう


11月「みことばをわかちあう会」のわかちあい

12月はクリスマス諸行事のため活動はお休みでしたので、11月の「みことばをわかちあう会」の恵みを、おわかちさせていただきます。

 

11月第3日曜日の礼拝後に、「みことばをわかちあう会」を持つことができました。

聖書の箇所は、マルコによる福音書6章で、内容が豊富だったので、「12弟子の派遣」を中心に学びました。

 

まず、1節~6節の教理におけるイエスの拒否の理由は、何だったのかという話になりました。

私たちは、「自分の知っていること」、いわゆる「常識の範囲内」でしか、物事を見ることができないからではないかという意見が出ました。

また、自分の常識で全能なる神を、小さく見過ぎてはいないか、これは無理だと最初からあきらめてしまってはいないかという反省の言葉も聞かれました。

同時に、自分のことをよく知っている家族伝道の難しさも話題に上がりました。

 

「12弟子の派遣」では、何故、2枚の下着を着てはいけないのか、1件の家にとどまらなければいけないのか」という問いが出ました。

昔のイスラエルの文化として、「下着を2枚着る」というのは、贅沢な人々の風習だったこと、また、「1件の家にとどまる」ということは、さらに良い待遇をしてくれる家を捜し歩いて渡り歩くなという意味合いがあるということでした。

一つの場所で、確実にその家に住んでいる人の魂を救いに導く努力をするようにという意味合いもあると思われます。

 

「足の裏の塵を払い落とす」とは、宣べ伝えても受け入れない魂には、私たちには責任がないということのしるしの行為であること、福音を受け入れるかどうかは、聖霊様のお働きによるのであって、私たちにゆだねられているのは、福音を宣べ伝えるという行為だけであること、結果は神様にゆだねればよいということも教えられました。

 

12人の弟子の伝道の効果が大きく、そのことがヘロデの耳にも入り、ヘロデは、イエス様を、自分が斬首したヨハネが生き返ったのだと恐れたという記録と、ヘロデによるヨハネの斬首の挿話が続きます。

ヘロデの愚かさと、私たちの中にもある、神を恐れない思いやおごりを、かえりみさせられました。

 

一人で読んでも気づかないたくさんのことに気づかされ、また、家族伝道の困難さなどを分かち合えたことは、大きな恵みでした。

 

次回は、6章の続きになります。またたくさんの恵みを受け取ることができることを期待しています。いつでもお声かけください。

 

 

2023年11月 みことばをわかちあう会

日時:2023年11月26日(日)PM1:00~3:00

 

聖書の箇所:マルコによる福音書6章 (第7回)

 テーマ

  ★12弟子の派遣

  ★5千人の給食

    ★湖の上を歩くイエス

 

みことばに励まされる恵みを、共にわかちあいましょう


10月「みことばをわかちあう会」のわかちあい

10月の「みことばをわかちあう会」の恵みを、おわかちさせていただきます。

 

10月第3日曜日の礼拝後、「みことばをわかちあう会」を持つことができました。

聖書の箇所は、マルコによる福音書5章で、テーマは、「汚れた霊に憑かれた人のいやし

」「長血の女のいやし」「会堂管理者ヤイロの娘のいやし」でした。

第1のテーマ「汚れた霊に憑かれた人のいやし」では、イエス様は異邦人の地であるゲラ

サ地方に行かれたのは、悪霊に憑かれた人がいることを知っておられ、その人を悪霊から

解放するためであったこと、いやされた人を通して異邦人の地に福音がのべ伝えられるこ

とを目的としておられたことを学びました。

イエス様の行動には、すべて、目的と深いご計画があることに、改めて深い感動を覚えま

した。

また、「神のかたち」として作られている人間を支配下に置こうとする悪霊を追放し、神

の権威を示されたことを通して、様々なこの世のものに支配されている人間を解放してく

ださるのは、イエス様だけであることを再確認しました。

第2のテーマ「長血の女のいやし」では、長期間にわたって漏出者として汚れた者とみな

されていた女の苦しみを想像しました。

また、本来人に触れてはいけない長血の女が、直接イエス様の衣に触れたことをイエス様

は非難することなく、「あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病

気にかからず健やかでいなさい」とお声をかけて下さったそのお言葉に、深いご愛を感じ

ました。

第3のテーマ「ヤイロの娘のいやし」では、長血の女のいやしに時間をとられたヤイロは

、娘のことがどんなに心配だったことかと思います。

イエス様に待たされるとき、信仰が揺らいでしまう私たちですが、イエス様は、最善以外

のことはなさらないということを改めて確信させて頂きました。

 

次回は、マルコ6章のみことばをあじわいながら、恵みを共に分かち合っていきたいと思

います。出はいり自由のまじわりですから、お気軽にご参加ください。 

 

 

2023年10月 みことばをわかちあう会

日時:2023年10月15日(日)PM1:00~3:00

 

聖書の箇所:マルコによる福音書5章 (第6回)

 テーマ

  ★汚れた霊に憑かれた人のいやし

  ★長血の女のいやし

  ★会堂管理者ヤイロの娘のいやし

 

みことばに励まされる恵みを、共にわかちあいましょう


9月「みことばをわかちあう会」のわかちあい

 

9月の「みことばをわかちあう会」の恵みを、おわかちさせていただきます。

 

9月第4日曜日の礼拝後、「みことばをわかちあう会」を持つことができました。

聖書の箇所は、マルコによる福音書4章で、テーマは、「種まきのたとえ」「神の国のた

とえ」「嵐をしずめたイエス」でした。

 

第1のテーマ「種まきのたとえ」では、「良い地」にまかれた種のように、まかれたみこ

とばの種を、「正しい良い心でしっかりと守り、よく耐え、みことばを真に悟る人」にな

りたいと、わかちあいをしました。

「はかりの例え」の「小さなはかり」の意味がよく分からなかったのですが、「小さなは

かり」とは「小さな信仰」のことで、「信仰をもって聴く程度」に応じて、与えられる恵

みの量も異なってくるという意味であるということが分かりました。

「持っている者はさらに多くが与えられる」という意味について、「イエス様の教えを真

剣に聴く者は、更に霊的理解力が与えられていく」という意味で「イエス様の教えをどう

聞くか」という、イエス様に聴く姿勢が問われました。

 

第2のテーマ「神の国のたとえ」では、からし種のような小さな種のように、みことばに

は命が満ち溢れているので、大きな樹に繁っていく神の国のすばらしさを改めて覚えまし

た。

 

第3のテーマ「嵐をしずめたイエス」では、自然をも従わせるイエス様の権威に圧倒され

ました。

次回は、マルコ5章の恵みを共に分かち合います。

出はいり自由のまじわりですから、お気軽にご参加ください。

2023年9月 みことばをわかちあう会

日時:2023年9月17日(日)PM1:00~3:00

 

聖書の箇所:マルコによる福音書4章 (第5回)

 テーマ

  ★種まきのたとえ

  ★神の国のたとえ

  ★嵐を沈めたイエス

 

みことばに励まされる恵みを、共にわかちあいましょう


8月「みことばをわかちあう会」のわかちあい

8月の「みことばをわかちあう会」の恵みを、おわかちさせていただきます。

 

8月27日の礼拝後、「みことばをわかちあう会」を持つことができました。

聖書の箇所は、マルコによる福音書3章で、テーマは、「安息日のいやし」「12弟子の任命」「霊の兄弟」でした。

 

第1のテーマ「安息日のいやし」では、イエス様は、律法学者たちの安息日に対する理解が誤っていることを示すために、いやしを行われたこと、それでも、律法学者たちは悔い改めなかったということを通して、イエス様は、いつでも悔い改めを待っておられ、そのために真理を教えて下さっていることを学ぶことができました。

 

また、知らないうちに律法主義に陥らないように、聖書の本来の目的と意味を、絶えず確認していく必要があることを示されました。

 

第2のテーマ「12弟子の任命」では、12弟子を任命した目的を皆で考えました。

 

「彼らを身近に置き」という個所から、イエス様のそばでイエス様の在り方を絶えず目にすることによって、弟子としての生き方を身につけるためであったのではないだろうか、また、「彼らを遣わして福音を宣べさせ」という個所から、私たちが救われたのは、この素晴らしい福音を自分のものにとどめておくのではなく、喜びをもって伝えるためであることだと、改めて確認しました。

 

第3のテーマ「霊の兄弟」では、血肉の兄弟ではなく、イエス様の血潮によって贖われた者は、イエス様によって、私の兄弟、姉妹、母と呼んでくださっているということの幸いをかみしめました。

 

みことばに聴きながら、様々な感想をわかちあうことによって、今回も、一人では気づけなかったみことばの恵みをわかちあうことができ、感謝のひとときでした。

 

次回は、マルコ4章の恵みを共に分かち合います。

出はいり自由のまじわりですから、お気軽にご参加ください。

 

2023年8月 みことばをわかちあう会

日時:2023年8月27日(日)PM1:00~3:00

 

聖書の箇所:マルコによる福音書3章 (第4回)

 テーマ

  ★安息日のいやし

  ★12弟子の任命

  ★霊の兄弟

 

みことばに励まされる恵みを、共にわかちあいましょう

 


7月の「みことばをわかちあう会」のわかちあい

7月の「みことばをわかちあう会」の恵みをおわかちさせていただきます。

 

7月16日の礼拝後、「みことばをわかちあう会」を持つことができました。

聖書の箇所は、マルコによる福音書2章で、テーマは、「罪を赦す権威」「罪びとを招くイエス」「安息日の主」でした。

 

第1のテーマ「罪を赦す権威」では、イエス様が、「あなたの罪はいやされた」と言われ、「起きて歩きなさい」と命じられたのは、イエス様が神の子としての権威をお持ちになっておられることをお示しになるためだったこと、罪を赦すのは、神の御子にしかできないことであることを確認し、罪を赦して頂いていることが、どんなに大きな一方的な恵みであるかを覚え、感謝の思いを新たにしました。

 

第2のテーマ「罪びとを招くイエス」では、当時、罪びととして忌避されていた取税人であるレビを招き、食事を共にした姿勢に、本当の愛とやさしさ感じました。「罪びとを招くために来た」イエス様によって、今、生かされている幸いを改めてかみしめました。

 

第3のテーマ「安息日の主」では、本来の神のご意思からそれてしまっていた当時の律法学者やパリサイ人達に対して、律法の本来の意味を解かれ、安息日は人間のために設けられてこと、イエス様こそ、安息日の主であることを宣言してくださったその力強いお言葉に、大きな励ましを頂きました。

 

みことばに聴きながら、様々な感想をわかちあうことによって、今回も、一人では気づけなかったみことばの恵みをわかちあうことができ、感謝のひとときでした。

 

次回は、マルコ3章の恵みを共に分かち合います。

出はいり自由のまじわりですから、お気軽にご参加ください。