2014年春号『あたたかな眼差しのもとで』

『あたたかな眼差しのもとで』

 

いのちは神様に生かされている

春。花粉症の私には、少々辛さもあるのですが、不思議と心が晴れやかになります。冬の寒さが過ぎ去り、暖かな日差しで心が広げられるからでしょう。

毎月、楽しみにしているコラムがあります。朝日新聞「スタイルアサヒ」に掲載されている高知県四万十川のほとりの大野内科院長の小笠原望先生の文章です。4月号も教えられました。

「ぼくには信仰はありません。ただ、たくさんの患者さんの看取りを経験して、いのちは神様に生かされている、そんなふうに思います。あっけない最期も、大木が倒れるような臨終もあります。どうしてこんないい人がこんな病気にと思うこともしばしばです。ぼくは神様が許してくれるだけ、今までのように歩こうと思います。」

 

人生とは、苦悩

年に一度、静岡県浜松市の実家に帰省します。

今年の正月、実家の書棚から何気なく山浦俊治氏の本を手にしました。山浦俊治氏は、今から約50年前、私の故郷で「小羊学園」という知的障がい児施設を始められた方です。登場する町名の懐かしさや先生の温かな文章に心惹かれ、次々と古書を購入し読みました。その一つの本『この子らに愛を教えられて』で、こう記しておられます。

「私は、仕事柄のせいでしょうか、『人生とは』と問われれば、深く考えることもせず『苦悩』と答えてしまいます。」また、英国の作家サマーセット・モームの代表作で『人間の絆』から「生まれ、苦しみ、死ぬ。それが人間の歴史である。」との言葉を引用され、心から共感できると述べておられます。そして、こうまとめられます。

「苦しみとしか言いようのない世界。しかし、不条理と矛盾に満ちた私たちのすべてを知って、じっと見ている大きな、温かな目があるのだ。温かな存在があるのだ。お母さん方は、知らずしてその目を感じているからこそ、悲しみを包みながら、歌い、笑うことができるのだ。私たちをじっと見つめている温かな目。」

 

じっと見つめている温かな目、存在

造り主なる神がおられる。神は、私たちを造り、愛し、じっと見つめておられる。神から離れ私たちが罪のうちに死んでいることを嘆き苦しみ、神とともに歩むために、独り子イエス・キリストを与え、身代わりに十字架に架け、私たちの罪を赦し、新しいいのちを与えて下さる。聖書は、そう告げます。

主イエスは、仰せられました。「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決して、そこにはいることはできません。(マルコ10:15)」子が親の愛と保護をそのまま受けるごとく、私たちは神の救いをそのまま受け取って歩むのです。

 

喜び、悩み、祈り、委ねつつ

私たちを愛し、喜んでおられる神がおられます。

その神の前で感謝し、喜び、歌い、笑い、そして悩み、迷い、祈り、吐露して生きることができるのです。

「なぜ」という苦難が確かにあります。でも、「なぜ」の思いを大切に抱き問い続けつつも、神の御前に委ね希望をもって生きていくことができるのです。

私たちをじっと見つめている神の眼差し。その存在のもとで、悲しみを包みながら、歌い、笑い、歩んでいきましょう。

 

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