2014年秋号『苦しみの向こうに』

 

福島原発に一番近い教会

この秋、守谷聖書教会では、秋の特別集会に、福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師を迎えます。

福島第一聖書バプテスト教会は、福島原発設置以前に建てられた、福島原発に一番近い教会です。2011年3月11日の東日本大震災の原発事故により、教会堂は閉鎖されました。その教会堂は、2009年に、向こう100年を鑑みて、新しく建てられたものでした。

教会員の多くは、避難を余儀なくされ、全国に散らされました。避難先がない教会員約70名は、会津、米沢の教会、そして、東京奥多摩のバイブルキャンプ場へと流浪の旅をされました。

その数ヶ月後、福島に戻ることを決断され、多くの労苦を経て、いわき市に、故郷への帰還を待ち望みしばし翼を休める鳥をイメージした教会堂を、そして教会員が住むアパートを建設し、歩んでおられます。

 

主は私の支えであった

教会ホームページや避難生活が記された書物『流浪の教会』、そして、その他の佐藤牧師の著書を読む中で、その著書にあった聖書の言葉が、私の心に飛び込んできました。

「彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、神は私の支えであった。(旧約聖書詩篇18:18)」

これは、今から約三千年前のダビデという人物の言葉です。ダビデは、十代の頃、竪琴の弾き手としてイスラエルの王サウルに見出され、王宮に出入りするようになりました。ある時、彼は、敵国を倒し、民衆から絶大な信頼を得るようになりました。

サウル王は、次第にそのダビデを妬み、憎しみ、

命を狙うようになり、ダビデは、サウル王から逃亡せざるを得なくなりました。サウル王は、権力に物を言わせ、ダビデの命を追い続けました。「彼らは私の

わざわいの日に私に立ち向かった」のです。ある時は、荒野に逃亡し、ある時は、敵国に逃げ込みました。

しかし、ダビデは、神に信頼し、従い、耐え続け、ある時、サウル王は、敵国との戦いにより命を落としました。ダビデは、サウル王の死を深く悼み、悲しみます。そして、彼は、サウル王に代わり、イスラエルの王になったのです。この経験を通し、ダビデは、

「神は私の支えであった」と歌い、告白しました。

理由が分からない苦難、人々の無情、恐れと緊張により眠ることができない日々、希望が見えない明日、その中でダビデを支えたのは、創造主なる神でした。

 

苦しみの向こうに光がある

佐藤牧師は、繰り返し語られています。

「神は、私たちを愛しておられる天の父なる神。イエス・キリストは、悲しみの人で病を知っておられ、私たちのすべての罪を背負い、十字架で身代わりに死なれ、私たちを罪から救い出し、希望を与え、ともにいて下さる。私たちは、多くのものを失ったが、多くのものを得た。経験した悲しみは消えることなく、いつまでも心に刻まれている。にもかかわらず、神は、痛みを覆い、大きな祝福をもって包んで下さった。」

佐藤牧師を通し、ご一緒に聖書の言葉に耳を傾けることができたら幸いです。

お一人おひとりを心よりお待ちしております。

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