聖書メッセージ(ヤコブ2:8~13)『自由の律法によって』

『自由の律法によって』

聖書箇所 ヤコブ2:8~13
2:8 もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。
2:9 しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。
2:10 律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。
2:11 なぜなら、「姦淫してはならない。」と言われた方は、「殺してはならない。」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。
2:12 自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。
2:13 あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。

説教要旨
2章に入り、ヤコブは「えこひいき」の問題を取り上げました。この世の貧しき者・力なき者を蔑むことのないよう強調しました。その理由として、第一に、神は、貧しき者をその信仰により霊的に富む者として下さるためでした。第二に、貧しき者を蔑むことは、律法違反であるためでした。(v8、v9)「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」との律法を「最高の律法」と述べ、えこひいきは、単に人間として非道徳的であるというのではなく、律法違反であり、神が違反者としてお責めになると記しました。罪は自分の判断によって決まるものではなく、また、人との比較の中での相対的なものでもなく、聖なる神の前に問われるものであるのです。

続いて、ヤコブは、一つの点で律法違反をなしているならば、それは全ての律法を犯した者となったとも告げ(v10、v11)、こうして人を見下すことは神の前における罪であることを明らかにしました。しかし、それがヤコブの目的ではなく、続けます。「自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。(v12)」「自由の律法によってさばかれる者(v12)」(1:25参照)との言葉に、ヤコブは三つの意味を込めているでしょう。第一は、「あなたがたは、確かに罪赦されたのだ」ということです。「自由の律法」とは、旧約聖書のモーセ律法とは、異なるのです。主イエスを信じ、罪からの救いに与った者が感謝から喜んで生きていく律法です。ですから、この言葉には「あなたがたは、主イエスにより罪赦され、永遠のいのちが与えられている」という前提があるのです。第二は、「自由の律法によって裁かれるのだ」ということです。では、救いに与ったキリスト者の行ないは、全く意味がないのかというとそうではなく、行ないにおける裁きがあるのです。罪赦された者として、感謝の応答として喜んで自由に律法に従い、言葉を大切にし、愛の行ないに生きていくのです。そして、第三は、主イエスが、そしてご聖霊が私たちをその律法に従うよう導き助けて下さるということです。キリストの救いにより、律法は人の内に刻まれたのです。(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:26~27)
 ヤコブは、言葉と愛の行ないの中でも赦しや憐れみを述べます。「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。(v13)」神の憐れみを知った者は、憐れみに生きることが前提とされています。神の赦しと憐れみの中に生きず、人をさばき、蔑む者は、神の憐れみを知らない者であり、神の裁きは、憐れみのない裁きだというのです。しかし、「あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。(v13)」と、人への赦しや憐れみに生きる者は、神の律法違反の責めを恐れる必要がないのです。神の赦しは、神の裁きに向かって勝ち誇ったのです。神は、罪ある私たちを憐れみ、キリストの身代わりの死により私たちの罪を赦して下さったのです。神の憐れみを知った者は、赦しと憐れみに生きる者と導かれていくのです。

私たちは、弱く、自分中心な者で、「損得勘定」「ギブ アンド テイク」の中のみに生き易い者です。また、人を自分の内で見定め、すみわけ、見下し易い弱さがあります。確かに弱さを覚える隣人に仕えていくことは何と愛と忍耐がいることでしょうか。失敗や弱さは、ただ主イエスの十字架の血潮によりお赦しいただき、愛や忍耐は、ちゃんと神が天の御国において報いて下さるのです。主イエスは、地において報われたことは天においての報いはないが、地において報われなかったことが天において豊かに報いられるとも仰せられています。アドヴェントを前にし、今一度、御子をお与えて下さった憐れみ深き神、この地に低く来られ十字架に架かり死なれ復活されたイエス・キリスト、そして内に住みたもう助け主なるご聖霊に拠りすがり、言葉と行いにおいてますます憐れみに生きていきたいと願います。信頼は行ないを生み出すからです。