聖書メッセージ(詩篇56:1~13)『私の涙をあなたの皮袋に』

『私の涙をあなたの皮袋に』

聖書箇所 詩篇56:1~13
指揮者のために。「遠くの人の、もの言わぬ鳩」の調べに合わせて。ダビデのミクタム。ペリシテ人が、ガテでダビデを捕えたときに 
56:1 神よ。私をあわれんでください。人が私を踏みつけ、一日中、戦って、私をしいたげます。
56:2 私の敵は、一日中、私を踏みつけています。誇らしげに私に戦いをいどんでいる者が、多くいます。
56:3 恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。
56:4 神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。
56:5 一日中、彼らは私のことばを痛めつけています。彼らの思い計ることはみな、私にわざわいを加えることです。
56:6 彼らは襲い、彼らは待ち伏せ、私のあとをつけています。私のいのちをねらっているように。
56:7 神よ。彼らの不法のゆえに、彼らを投げつけてください。御怒りをもって、国々の民を打ち倒してください。
56:8 あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。
56:9 それで、私が呼ばわる日に、私の敵は退きます。神が私の味方であることを私は知っています。
56:10 神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。
56:11 私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。
56:12 神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。
56:13 あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。
 
説教要旨
2015年最後の主の日の礼拝式を迎えました。詩篇56篇の御言葉に聴きましょう。この詩篇は、ダビデがサウル王に命追われ、敵国ペリシテ人の地に逃亡し、捕えられてしまった時に歌われた歌です。「踏みつけ(v1、v2)」「一日中(v1、v2)」と繰り返しています。サウル王とペリシテ人の圧迫が、ダビデを一時も気を休めることのない恐れの中に置いていたのです。しかし、ダビデは、その恐れの中で、神に信頼していきます。(v3)それは、具体的には、神の御言葉に聴き、神の御言葉に信頼する歩みでした。(v4)ダビデは、続けて、v1~v4と同じように「苦しみと信頼」の詩を繰り返し、その思いは深められていきます。(v5~v11)

「私のことばを痛めつけています(v5)」自分が言った言葉が攻撃の対象とされたり、誤解されたりしていたのでしょう。また、目に映ってくることは、サウル王やペリシテ人がなすこと全てが自分にわざわいを加え、いのちを狙うものだったのです。そのような中で、ダビデは、歌います。神を「あなた(v8)」と呼び、神は私の逃亡生活をご存知でいて下さる、私の涙を神の皮袋にたくわえて下さる、神の覚え書に書かれていないか、いや、ちゃんと書き記していて下さると。(v8)本当の苦しみは、人に知られないことが多いでしょう。いいえ。言ったならば、「一日中、彼らは私のことばを痛めつけています(v5)」と、その言葉が逆に苦しみを増すことへ繋がることもあるでしょう。表題に「もの言わぬ鳩」とありますが、ただただひたすらに「もの言わぬ鳩」、そんな状態です。しかし、神は、人知れぬ私たちの涙を一滴も漏らさず神の皮袋にたくわえて下さるのです。そして、「私が呼ばわる日に(v9)」と、ただただ神の名を呼ぶしかない言葉にならない祈りと嘆きに善き導きを備えて下さるのです。「神が私の味方であることを私は知っています(v9)」と告白しています。神と私たちの交わりは、誰をも奪うことができないということ、そして、究極的に、神は、私たちを守って下さるということです。(ローマ8:31~32参照)

12節と13節は、この歌のまとめです。「救い出してくださいました(v13)」とは、実際に救い出されたということ、または救い出される確信を表しています。ですから、この言葉は、ダビデがペリシテ人から助け出された後に、助け出される前に約束した通り、感謝のいけにえをささげると述べているのかもしれません。また、助け出される前に、神は必ずや味方として救い出して下さるので、感謝のいけにえをささげると神への深い信頼の言葉であるかもしれません。いずれにせよ神の御前を歩むためであるというのです。救い出して下さったならば、神への感謝を捧げ、いよいよ神の御前を歩む、また、まだならば、救い出して下さるとの深い信頼をもって神の御前を歩み、神を待ち望んでいくのです。

過ぎし一年、確かに助け出されたことがあります。長い間抱えていた課題や心を大きく苦しめていた重荷が取り除かれたことがあるでしょう。神に感謝し、いよいよ神の御前を歩みましょう。しかし、その一方で、今もなお、ペリシテ人に追われていることがあるでしょう。物言わぬ鳩のようにひたすらに黙していることがあるでしょう。解決の光が見えず、一日中心から消え去らない痛みがあるでしょう。しかし、神は、そのさすらいを、その目の涙を覚えていて下さるのです。そして、必ずや私たちを救い出し、神の御前を歩む者へと導いて下さるのです。それは、単に自分の願ったことがかなうということではありません。しかし、神は、ご自身が考える最善の御業をなして下さるのです。御子を与えて下さったほどに私たちを愛し、御子の十字架の故に神と私たちを隔てていた罪を取り除き、神の子どもとし、御子とともによきものを与えて下さるお方であるからです。

感謝をささげ一年を終え、神と御言葉への待ち望みをもって一年を迎えていきましょう。