聖書メッセージ(Ⅰテサロニケ4:9~12)『兄弟愛と勤労』

聖書箇所 Ⅰテサロニケ4:9~12

4:9 兄弟愛については、何も書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。

4:10 実にマケドニヤ全土のすべての兄弟たちに対して、あなたがたはそれを実行しています。しかし、兄弟たち。あなたがたにお勧めします。どうか、さらにますますそうであってください。

4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。

4:12 外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。

 

説教要旨

今日の箇所は、教会における互いの愛、兄弟愛の教えです。パウロは、兄弟愛に関し、テサロニケ教会に何も書き送る必要はないと述べました。(v9)テサロニケ教会は、互いに愛し合い、仕え合っていました。何の闘いもなかったわけではなく、「愛の労苦(1:3)」と、労苦しながら愛し合っていたのでしょう。「互いに(v9、v18、5:11)」です。教会の交わりは、誰かが一方的に愛し、誰かが一方的に愛される関係ではなく、互いに建て上げられていく関係です。テサロニケ教会は、互いに愛し合うことを神から教えられました。(v9)でも、実際は、パウロから教えられたのです。しかし、パウロは自らが教えた言葉を「神の使信のことば(2:13)」とし、聖霊により語り、そして、受けたテサロニケ教会の人々も、神の言葉として受け入れ(2:13)、その神の言葉は、テサロニケ教会の人々の内に働いていたのです。(2:13)それは、今日の箇所の前節に「聖霊をお与えになる神(v8)」とありましたが、父なる神は、独り子イエス・キリストの十字架と復活の贖罪により、私たちの罪を赦し、私たちの内に助け主なる聖霊を与え、その聖霊により御言葉が彼らの内に働いていたのです。神は、救われた私たちに、日々神を愛し、隣人を愛するように命じられておられますが、命じられているだけではなく、助け主なる聖霊を与え、働いて下さっておられるのです。F.F.ブルースは、その事を、神は飛べという命令を与えられただけではなく、翼を与えられたというように分かり易く例えております。そして、教会内だけではなく、マケドニヤ地方の諸教会に対しても愛をもって仕え、具体的に支援しました。(Ⅱコリント8章)そのような兄弟愛の歩みをなしていましたが、パウロは、「さらにますます(v10)」と互いの愛においての成長を勧めたのです。

 

続いて、勤労の教えです。(v11)この教えが兄弟愛に続く形で記されています。正確に言いますと、兄弟愛の教えの中に、勤労の教えがあります。と言いますのは、テサロニケ教会の人々の中には、主イエスが再び直ぐに来られ、この世が終わり、天の御国が完成する、だから熱狂的になって、仕事をせず、兄弟愛を逆手にとって依存し、あぐらをかいていた者たちがあったようです。(Ⅱテサロニケ3:6~12)兄弟愛の交わりは、与える交わりです。しかし、その中で、受けることばかりを求めてしまう歩みになってはならないのです。そして、それを逆の面から言うならば、自立を妨げてしまう兄弟愛への戒めでもあるでしょう。兄弟愛が行き過ぎてしまう時、それは、結局は自分を喜ばせようとしている魂の状態であるのかもしれません。「だれかが苦しんでいる時、相手の中に無遠慮に踏み込むのではなく、控え目にその人の問題を察し、陰で心を注いで祈りとりなしをすることができます。『福音に仕える教会(西大寺キリスト教会)』」

 

その兄弟愛を「さらにますます(v10)」です。でも、私たちは、自分の愛の貧しさを覚えます。「○○してくれない」との不平不満の思いとなり易い者です。そして、自らの言葉や行為がその人の自立を妨げてしまうこともあります。そして、手を差し出すべきか、見守るべきか大変迷う者でもあります。パウロは、テサロニケ教会の人々に、「神から教えられた人たち(v9)」と告げました。兄弟愛のますますは、神の御言葉に聴き養われ、私たちの内に住みたもう聖霊の御力に拠り頼んでいくことによります。神の御言葉と聖霊の御力により、造り変えられていくのです。一朝一夕にはいきません。でも、成長していかない歩みではありません。時間をかけつつ兄弟愛の歩みに導かれていくことができるのです。

 

10月に入り、慌ただしさが増してきます。しかし、だからこそ、神の御言葉に聴き養われ、聖霊の御助けをいただきつつ、互いに与え仕え合う歩み、そして慎み合う歩みへとますます導かれ成長して参りましょう。ご聖霊の御力に生かされていく御恵みを日々味わって参りましょう。

 

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