聖書メッセージ『主イエスの恵みが』(Ⅰテサロニケ5:25~28)

聖書メッセージ Ⅰテサロニケ5:25~28

5:25 兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。

5:26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをなさい。

5:27 この手紙がすべての兄弟たちに読まれるように、主によって命じます。

5:28 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。

 

説教要旨

パウロは、この手紙を、結びの挨拶で三つのことを命じ、そして祝福の祈りをもって終えております。第一は「兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。(v25)」パウロは、「いつも」「絶えず」テサロニケ教会の人々の祝福を覚えて祈っていたのですが(1:2、3)、ここでテサロニケ教会に祈りを要請しました。パウロとテサロニケ教会は、祈り、祈られる関係の中に置かれていたのです。私たちは、自分が祈ってもらう歩みです。私たちは、執り成しの祈りによって、神の御守りと御力の中を歩ませていただいております。そう祈ってもらう歩みであるとともに、執り成しの祈りをなしていく者でもあるのです。「こんな自分が祈っても」ということは決してありません。神は、私たちの祈りを確かに聴いて下さり、その隣人に働かれ、慰めや大きな力を与えて下さるのです。執り成しの祈りが用いられ、神の御言葉が宣べ伝えられ、神の救いの御業が進められていくことになるのです。私たちは闘いの中に置かれています。世の誘惑があります。祈っていただく、そして祈っていく、その祈りの交わりの中にある神の守りと祝福の中を歩ませていただきましょう。第二は「すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをなさい。(v26)」26節と27節は、主の日の礼拝を念頭に置いているように思われます。聖なる口づけをもって挨拶することは、当時、主の日の礼拝に来た時の慣習でした。私たちの信仰の歩みは、神との交わり、縦の関係です。私たちは、主日、神を称え、神の御言葉に聴き、神の祝福に与り、それぞれの持ち場に遣わされていきます。しかし、それとともに、私たちは、主の日の礼拝に来て、互いの交わりをもっていく者であるのです。一つの挨拶が兄弟姉妹に大きな励ましを与えることがあります。一週間の恵みや弱さを分かち合うことが私たちの魂を真に満たすのです。神との交わり、そして神を中心とした互いの交わりの中で、神は私たちをお育み下さるのです。第三は「この手紙がすべての兄弟たちに読まれるように、主によって命じます。(v27)」「読む」とは「声高く読む」「朗読する」という言葉です。この手紙が各自で読まれることではなく、主の日の礼拝の中で朗読されることを表していました。そして、「命じます(v27)」は、大変強い言葉が使われています。私たちは、主の日に呼び集められて、神の御言葉に聴くのです。神の御言葉に聴き養われて、聴き従っていくのです。

 

以上三つが、私たちがなすべきことですが、私たちの信仰の歩みの礎は、私たち自身ではなく、私たちの主イエス・キリストの恵みです。「私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。(v28)」パウロは、この手紙を「恵みと平安があなたがたの上にありますように。(1:1)」との祈りで書き始め、主イエス・キリストの恵みがあるようにとの祈りで書き終えました。そして、「私たちの」と言っておりますように、主イエス・キリストの恵みはテサロニケ教会とパウロの礎でした。テサロニケ教会は主の恵みにより偶像から立ち返り、神と和解し、聖められ、迫害の中で支えられ、死の中から救い出され、永遠のいのちをいただきました。パウロは、主の恵みにより迫害の罪が全く赦され、主の恵みはパウロの存在と働きと肉体的弱さの中での礎でした。(Ⅰコリント15:10、Ⅱコリント12:9)その主の恵みは、とこしえに私たちにあり(詩篇136:1、詩篇23:6)、神と私たちを隔てていた罪を完全に赦し、神との交わりを与え、私たちを造り変え、苦しみの中で支え、死の中から救い出し、天の御国へと導いて下さるのです。その主の恵みが私たちに与えられたのであり、与えられているのであり、注がれ続けていくのです。

 

私たちは、主イエス・キリストの恵みを礎とし支えられ、祈られ祈る歩み、互いの愛の交わり、御言葉により育まれ、神にお仕えし、神の栄光を現わしていく歩みへといよいよ導かれて参りたいと願います。