聖書メッセージ『我は聖霊を信ず』(ヨハネ16:7~16)(使徒信条10)

聖書箇所 ヨハネ16:7~16              

16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。

16:10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。

16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。

16:12 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

16:14 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

16:15 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

16:16 しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」

 

説教要旨

本日から「聖霊なる神」についての告白を見て参ります。使徒信条において、父なる神、子なる神イエス・キリストを信ずと告白しますが、それと全く同様に聖霊を信ずと告白します。聖霊は、何かのエネルギーや非人格的なものではなく、父なる神、子なる神と同様に神であられ、主であられ、人格的なお方であられ、礼拝すべき、信頼すべきお方であられます。(Ⅱコリント3:18)私たちは、今、聖霊の時代に生きております。御言葉に根ざして、聖霊なる神を覚え、その働きを知り、拠り頼んでいくことは、大切なことであり、信仰生活のいのち、力、喜びであるのです。

 

では、聖霊の働きは、どのようなものでしょうか。聖霊の働きについて、使徒信条は具体的に告白していませんが、信徒信条の順序がそれを示しております。聖霊の働きは、父なる神がご計画され、御子なるイエス・キリストが成し遂げて下さった救いの御業を私たちの内に現実化して下さることです。創造も贖いの御業も三位一体なる神の御業ですが、主たる働きとして、父なる神は、天地万物と私たち人間を創造され、ご自身に背く私たちを憐れみ、独り子イエス・キリストを私たちにお与え下さり、御子イエス・キリストは、人としてこの地に来られ、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれ、復活され、神の贖いの御業を成し遂げ、救いの道をお開き下さいました。その救いの御業を、私たちのものとして下さるのが聖霊なる神であられます。客観的歴史的贖いの出来事を、私たち自身の救いの出来事と現実化して下さるのが聖霊なる神の働きであるのです。

 

では、私たちの内に現実化して下さるとは、具体的にはどのようなことでしょうか。主イエスは、聖霊を「助け主(パラクレートス)」と仰せられました。「傍らに呼ばれた方」との意味です。(14:16)では、私たちの傍らで聖霊は具体的に何をして下さるのでしょうか?助け主なる聖霊は、「真理の御霊」とも呼ばれます。(14:17)(16:13)真理の御霊は、主イエスの教えを思い起こさせ(14:26)、主イエスをあかしし(15:26)、人に罪を認めさせ(16:8)、人をすべての真理に導き入れて下さいます。(16:13)聖霊は、私たちをキリストの救いへと導き、私たちの魂を新しく生まれさせて下さるのです。第二に、聖霊は、私たちを内側から深く造り変え続けて下さいます。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:22、23)」九つありますが、三つずつに分類されると言われております。「愛、喜び、平安」は神との関係、「寛容、親切、善意」は人との関係、「誠実、柔和、自制」は自分との関係の実です。神の愛、神の喜び、神の平安に生かされ、その神を愛し、神を喜び、神に従順に生きていくことができる。「寛容」:人を赦し仕返しをしない、「親切」:人を思いやる、「善意」:思いやりが言動になっていく。「誠実」:信頼を得る、「柔和」:心優しいというよりも、謙遜に力強く歩む、「自制」:感情や言葉を制御することです。「実」は単数形であり、神との関係、人との関係、自分との関係が調和されている実が結ばれていくのです。生まれ持った、また環境で培われる性質とは異なる、御霊の働きによる実が私たちの内に結ばれていくのです。聖霊により神を愛し、人を愛する人へとせられていきたいのです。そうせられるのは、自らの罪を知らされることから始まります。聖霊は、私たちの本当の姿、無力で、愛のない者であることを見させて下さり、そこから聖霊によりすがっていく時に、深く内から造り変えられていくことができるのです。

 

聖霊なる神の働きを妨げるものは、自分の力に拠り頼む高ぶりであり、聖霊なる神の働きがなされるのは、自分の弱さと無力さを認め、聖霊によりすがる謙りです。傍らに近くともにおられ、私たちのために執り成して下さる聖霊によりすがり、ご支配していただき、キリストの救いの中を歩み続け、イエス・キリストの証人として歩みをなさせていただきましょう。