聖書メッセージ『アーメン』(Ⅱコリント1:15~22)(使徒信条15)

聖書箇所 Ⅱコリント1:15~22               

1:15 この確信をもって、私は次のような計画を立てました。まず初めにあなたがたのところへ行くことによって、あなたがたが恵みを二度受けられるようにしようとしたのです。

1:16 すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニヤに行き、そしてマケドニヤから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。

1:17 そういうわけですから、この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間的な計画であって、私にとっては、「しかり、しかり。」は同時に、「否、否。」なのでしょうか。

1:18 しかし、神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「しかり。」と言って、同時に「否。」と言うようなものではありません。

1:19 私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり。」と同時に「否。」であるような方ではありません。この方には「しかり。」だけがあるのです。

1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。

1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。

1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

 

説教要旨

本日は、使徒信条の学びの最後で「アーメン」との信頼の言葉を見て参ります。使徒信条は、三位一体なる神の告白です。父なる神は、天地万物を創造し、ご自身の御心を成すことにおいて全能であるとの告白です。子なる神、イエス・キリストは、神に背き、神から離れ、罪の中に魂が死んでいる私たちを罪から救い出すために、人としてこの地に来られ、私たちの罪の身代わりに十字架に架かり死なれ、死の中から復活され、贖いの御業を成し遂げ、天に昇り、神の右の座に着座され、私たちのために執り成し、治めて下さっておられるとの告白です。聖霊なる神は、父なる神がご計画され、御子が成し遂げて下さった救いを私たちのものとして下さるお方であり、教会を造り、教会の交わりの中で、罪の赦しと永遠のいのちの御救いに与らせて下さるとの告白です。そして最後に「アーメン」と告げます。「アーメン」とは、ヘブル語で「真実」を表し、「たしかにその通りです」との言葉です。「神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。(Ⅱコリント1:20)」神は二千年前、御子イエス・キリストの十字架の死と復活により救いの御業を成し遂げられました。神の救いの約束がキリストによって実現したのです。神は、キリストを信じる私たちに、罪の赦しを与え、ご自身のものとして下さったのです。また、私たちを天の御国に入る者として下さり、その天の御国にいたるまでともにあって守り、救いの勝利の内を歩ませて下さるのです。

 

私たちは、キリストによる神の救いの御業の真実さに応答し、「アーメン」と罪の赦しを確信し、天の御国の大いなる希望を待ち望み、今日を生きていくことを告白します。今、私たちは「すでに」と「いまだ」の時の間に生きております。二千年前、神が御子によって成し遂げて下さった救いの御業により、キリストのこの世に対する勝利はすでに決定的となりましたが、その完成はいまだです。日々の歩みにおいて「勝利」と「闘い」の中を歩み、「感謝」と「嘆き」の中を歩んでおります。神の恵みの中で多くの喜びを受けながらも、務めや病や人間関係の闘い、キリストを信じる故の闘いがあります。苦難の中で、結局は、全てがなるようにしかならない、祈っても仕方がないとの思いがうごめき、そのような思いに傾く中で、キリストの十字架と復活を見上げ、イエス・キリストがちゃんと私たちとともにあって、道を備え、天の御国へと導き入れて下さるとの信頼に立っていくのです。キリストへの信頼によって歩んでいくのです。神に苦しみをそのまま注ぎ出し祈りながら、また一つひとつの歩みにおいて主の真実さに「アーメン」と信頼しながら歩んでいくのです。そうして、主は、私たちに一つひとつ道を備え、勝利を与え、この地上での歩みを経て、天の御国へと導き入れて下さるのです。

 

それは、一人の告白として、「アーメン」と告白していくだけではなく、「私たちは(Ⅱコリント1:20)」とあるように、主の教会として告白していくのです。自らがそう告白し、また兄弟姉妹の告白を聞き、ともに励まし合いながら、この信仰告白に立ち、生きていくのです。そうして「神に栄光を帰するのです。(Ⅱコリント1:20)」と、神に栄光を帰していくのです。

 

使徒信条の学びをなしてきましたが、それは「確かな知識」を得るためであり、また「心から信頼」をなしていくためです。神がイエス・キリストにより与えて下さる救いを「アーメン」と受け取り、罪赦され、永遠のいのちを受け取っていただきたいのです。また、天の御国を目指し、待ち望み、この地上での日々を主にあって喜び、また闘いを「アーメン」と主に心から信頼し歩んで参りましょう。そして、神に栄光が帰されていく歩みへと導かれて参りましょう。「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。(Ⅱコリント13:5)」