聖書箇所 詩篇146:1~10
146:1 ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
146:2 私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
146:3 君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。
146:4 その息が絶えると、その者はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。
146:5 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
146:6 主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り、
146:7 しいたげられる者のためにさばきを行ない、飢えた者にパンを与える方。主は捕われ人を解放される。
146:8 主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。主は正しい者を愛し、
146:9 主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。しかし主は悪者の道を曲げられる。
146:10 主は、とこしえまでも統べ治められる。シオンよ。あなたの神は代々にいます。ハレルヤ。
説教要旨
2018年元旦の朝を迎えました。詩篇146篇の御言葉に聴きます。詩篇146~150篇は、「ハレルヤ詩篇」と呼ばれ、また、ユダヤの会堂で民の毎朝の祈りに用いられた詩であったようです。詩人は「ハレルヤ。(v1)」と主をほめ称え、自分の魂に向かって「主をほめたたえよ。(v1)」と語りかけ、「私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。(v2)」と信仰の決意を歌います。神の祝福を求め、神をほめ称えるのではなく、神が神で在られる故に神をほめ称えるのです。それは生きる目的です。多くの宗教がご利益を求め、神々に祈り、神々を恐れます。でも、私たちは神が神で在られる故に神をほめ称えるのです。神ご自身を喜ぶのです。
続いて、詩人は、頼るべきお方を歌います。まずは頼ってはならない者です。「君主たち(v3)」です。私たちは、言うまでもなく、人に支えられ歩んでいます。自分独りで生きていると考えることは傲慢でしょう。教会において祈りの友と信仰の先輩(メンター)を持つことは大切な事としばしば言われます。ダビデには、ヨナタンがいました。若き伝道者テモテには、先輩伝道者パウロがおり、そのパウロにも慰めの子バルナバがいました。でも、人を最終的な拠り所としてはならないのです。人は、本当の意味で私たちの魂を救い、私たちの歩みの拠り所となってくれるわけではないのです。(v3)イスラエルの名君ダビデは、諸外国との戦いに自ら先頭に立ち勝利を収めましたが、バテ・シェバと不倫の罪を犯した時、彼女の夫、また彼の忠実な家来ウリヤを戦地の最前線に送り、敵の手により巧妙に命を奪いました。最終的に民ではなく、自分を守りました。そして何と言っても、土から造られた人は、すべて土に帰る儚い者です。(v4)では、何を頼りとして歩むのでしょうか。「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。(v5)」神は、創造主で(v6)、ご自身の真実さにかけて真実をもって私たちを守り導き通して下さるお方です。(v6)神のその真実は、ご自身に拠り頼む者に慈しみ深いのです。(v6~v9)「したげられる者」「飢えた者」「捕らわれ人」「盲人」「かがんでいる者」「在留異国人」「みなしご」「やもめ」は、いずれも当時の社会の中で「力なき者」、即ち「よるべのない者」でした。君主からは忘れ去られ易い者たちでした。でも、主は、よるべなく、ご自身に望みを置く者を慈しみ深く守り導き通して下さるのです。これは、イザヤ書61:1~2を想起させ、主イエスは、その預言がご自身において実現したと仰せられました。(ルカ4:16~21)イエス・キリストは「自分を救ってみろ」と嘲られましたが、私たちを愛し、神へと立ち返らせるため、十字架から降りずに最後までご自身のいのちを与え尽くして下さいました。そして、死で終わりではなく、死に打ち勝ち復活され、今生きておられる救い主、真の王です。
「主は、とこしえまでも統べ治められる(v10)」主なる神、イエス・キリストは主の主、王の王です。私たちが従うべきお方です。この王の王は、私たちを愛し、慈しみをもって守り導き通して下さいます。そのお方に従順であらせていただきましょう。でも、同時に覚えていたいのです。目に見える神の祝福が一つひとつ取られ、健康も害されたヨブは、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ1:21)」「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。(ヨブ2:10)」と述べました。幸も災いも、慈しみも試練も「主は、とこしえまでも統べ治められる。(v10)」のです。
この詩篇は、ユダヤの会堂で用いられた毎朝の祈りです。「イエス様、きょうもあなたを愛します。イエス様、きょうもあなたを喜びます。イエス様、きょうもあなたにお従いいたします。アーメン。(安藤仲市牧師)」主ご自身を喜び、主を信頼し、主にお従いしていく、その日々を2018年積み重ねて参りましょう。