聖書箇所 エペソ2:19~22
2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
説教要旨
「神の子ども」という個人に焦点を当ててきましたが、本日と次週は「教会」に焦点を当てて見ていきます。
エペソ書は、パウロがローマの獄中でエペソ教会に記した手紙です。エペソの人々は、ユダヤ人にしてみれば、神との救いの契約の外にあった他国人、神のない人たちでした。(v11、v12)そして、ユダヤ人と異邦人は、敵対し合っていました。でも、エペソの人々もキリストを信じ、不和となっていたユダヤ人との隔ての壁が打ち壊され、一つ教会とせられたのです。(v13~v15)キリストは、十字架で神との和解の道をご用意下さっただけでなく、人と人との和解の道をもご用意下さいました。「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。(v19)」「神の家族(v19)」と告げています。神なしの人々が(v12)、神の家族とせられたのです。神は、私たちが神を知る前から、一人ひとりを知っておられ、憐れみ、キリストの救いへと導いて下さいました。(1:5)
私たち一人ひとりは、人間的尺度から言うならば、真に小さな存在です。例えるならば、名もなき野原にある一つの小石のようです。でも、神は、その小さな小さな私を知っておられ、見ておられ、神の救いのご計画の内に置かれ、ご自身へと招いておられるのです。また、神の家族とは、神の教会の大切な一人とせられたということをも示しています。人が「おぎゃー」と生まれることは、その時から家族の一員ともなります。同様に、キリストを信じ、洗礼を受け、神の子どもとせられた時から、神の家族の一員であるのです。一人ひとりの存在が尊いのです。何ができる、できないではありません。そこに主を見上げて歩むあなたがいることが尊いのです。また、私たちは、後に触れますが、相互関係の中に生きていくのです。
パウロは、続いて、神の家族、教会を「建物」に例え、まず土台、礎石を告げます。(v20)教会の土台は、「使徒と預言者」、即ち神の御言葉、聖書です。「キリスト・イエスご自身がその礎石です」とは、キリストは、御言葉を通し、私たちに働きかけ、語りかけられるのです。ですから、教会は、御言葉に聴いていくのです。家族の体の糧は、食物ですが、神の家族の魂の糧は、神の御言葉です。続いて、パウロは、教会は、建物が柱と柱が組み合わされて建てられていくように、私たちがともに組み合わされて建てられ、成長していくと告げました。教会は、一人ひとりが孤立して生きているのではなく、見える形で、見えない形で、支えられ、支え歩んでいます。個として成長していくだけではなく、全体が成長し、ともに建て上げられていきます。それは、ただ私たち一人ひとりが組み合わされていくのではなく、「この方にあって(v21)」「このキリストにあって(v22)」と、イエス・キリストに結ばれ、ともに建てられていくのです。イエス・キリストは、教会の礎石であり、教会を建て上げて下さる主です。私たちは、弱さを覚え、試練に遭いますが、でも、キリストご自身が、御言葉により、試練の中で礎石となって支え、主として導いて下さるのです。
では、どう成長していくのか。「主にある聖なる宮となる(v21)」「御霊によって神の御住まいとなる(v22)」宮、神の御住まいとは、旧約時代の神殿を表していました。神殿は、神との出会いの場でした。教会の交わりの中に、主がおられ、主と出会い、魂の癒し、喜び、平安を受けていきます。そして、私たちは神に栄光を帰していきます。さらには、神の祝福の基とせられ、神の愛と聖さの祝福を、まだ神から離れている方に現わし、キリストのいのちの交わりに加えていくのです。さらには、そういう教会の交わりの中で、5章では、夫婦、親子、職場の関係が記されていますが、教会は教会の交わり、家庭は家庭の交わりと、分離しているのではなく、一体性があり、教会がともに建てられていく中で、家庭の歩み、自分が置かれた働きの歩みが祝福されていくのです。