聖書メッセージ『宿なき救い主』(ルカ2:1~7)

聖書箇所 ルカ2:1~7
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。


説教要旨(待降節第三礼拝)
イエス・キリストの誕生は、歴史の只中で起きました。(v1、v2)「アウグスト(v1)」とは「尊厳なる者」との称号で、本名はオクタヴィアヌスです。ユリウス・カエサルの養子で、紀元前31年にローマ帝国の初代皇帝となり、紀元14年まで治めました。そのローマ皇帝オクタヴィアヌスから住民登録の勅令が出ました。徴税と徴兵のためでした。この勅令により、支配下にあった人々は、それぞれの戸籍地に向かいました。(v3)ガリラヤのナザレに住むヨセフも例外ではなくマリヤを連れてユダヤのベツレヘムに向かいました。(v4~v5)百数十㎞の道のりでした。ヨセフとマリヤの予定では、登録を済ませ、再びガリラヤに戻り住み慣れた場所での出産を考えていたのでしょう。でも、予定とは異なり、ベツレヘムでの出産となりました。しかし、このことこそ神の救いのご計画でした。救い主は、ベツレヘムで生まれることが約束されていました。(ミカ5:2)主イエスの誕生は、歴史の只中で起き、神の救いのご計画の実現でした。神が私たち人間を愛し、憐れみ、罪から救うための御業でした。(1:78)

 

では、その誕生は、どのようなものだったのでしょうか。主イエスが生まれ寝かせられた場所は、「飼葉おけ(v7)」でした。ここから、主イエスは、家畜小屋で誕生されたと考えられております。主イエス・キリストの低さが示されております。「宿屋には彼らのいる場所がなかったから(v7)」とありますが、ここには、イエス・キリストの後の拒絶、「十字架の死」が予告されているでしょう。この箇所は、ローマ皇帝オクタヴィアヌスとイエス・キリストが対比されています。オクタヴィアヌスは、人々を権力により動かし、支配しました。一方、イエス・キリストは、みどり子としてこの地に生まれました。住民登録により動かされる者でした。さらに言うならば、人の手によらなければ生きていくことができない者として生まれ、生まれた場所は家畜小屋でした。イエス・キリストは最も低く、最も貧しく来られ、私たちの罪の身代わりに死なれたのです。「罪」とは、神との関係が失われていることです。イエス・キリストは、私たちを愛し、いのちを捨て、私たちを罪から救い、愛によって治め、救いの光の中を歩ませて下さるのです。世のものを追い求めても、魂の救いはありません。しかし、イエス・キリストを受け入れる時、神によって魂が新しく生まれ、神との交わりである永遠のいのちをいただくことができます。今日も、イエス・キリストは、変わることなく、心の戸をノックしておられます。

 

最後に、ヨセフとマリヤを覚えましょう。住民登録は、ヨセフだけですれば十分であったようです。徴税と徴兵のための住民登録でした。支配国は、敢えて被支配人に対し不平を募らせるような政策を取らないでしょう。でも、ここでヨセフはマリヤをベツレヘムに連れて行きました。それは、ナザレにおいて彼らに対する中傷や危険があったからでしょう。マリヤを見る彼らの家族はいなかったのかとも考えてしまいます。彼らのいる場所がなかったのは、ベツレヘムだけではではなく、ナザレもそうだったのでしょう。しかし、その彼らに、イエス・キリストがともにおられたのです。イエス・キリストこそ宿なき者の宿なき救い主です。私たちも、時に信仰の闘いがあり、また信仰の歩みの虚しさを覚えることがあります。神により今与えられている務めと場であることは分かっていますが、見える結果や報いがなかったりすると、虚しさを覚え、信仰の歩みを投げ出してしまいそうにさえなります。しかし、神は、私たちにちゃんと目を留めておられます。自分の願ったように進んでいないように思えることも神のご計画の御手の内にあります。私たちがなすべきことは、その時、その時に、主から委ねられた働きとして、神と神の言葉に信頼し、忠実に担っていくことです。狭い谷の道であるかもしれません。でも、そこに主イエス・キリストはともにおられ、担う力を与え続けて下さるのです。