聖書メッセージ『すべて主イエスの名によって』(コロサイ3:12~17)

聖書箇所 コロサイ3:12~17
3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。


説教要旨
本日は、2019年最初の主日です。2019年年間聖句はコロサイ3:17、標語は「キリストにある成人として立つ教会」です。3:12~17は、信仰生活の要約です。パウロは、その要約の前にいかなる者であるのかを確認しました。「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として(v12)」それは、信仰生活が人の決意や力を土台とする戒律的なものではないことを覚えさせるためです。神が愛し、御子の十字架により救いに与らせ、キリストが内に住みたもう者としての勧めであるのです。「行ない」は「信仰の実」です。神は、私たちの名を呼び、ご自身のものとされ、愛して下さっておられます。神の一方的な恵みの中での歩みです。


続いて、身に着けるものが告げられています。「深い同情心(v12)」「慈愛(v12)」「謙遜(v12)」「柔和(v12)」「寛容(v12)」、そして「忍耐」「赦し」(v13)を着るよう告げ、これら「すべての上に、愛を(v14)」着ることを教えています。v15では、キリストの平和が心を支配するように告げ、「そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。(v15)」と教会のことを告げています。「感謝の心を持つ人になりなさい(v15)」と、神への感謝とともに、互いへの感謝を持つことを告げます。一人ひとりの「人格」について告げ、それに留まらず「教会の交わり」が告げられています。v16では、さらに「教会」が意識されています。教会の内に「キリストのことば(v16)」「キリストの福音」を豊かに住まわせ続けるのです。私たちを愛し、罪の身代わりに十字架で死なれ、復活されたイエス・キリストがいつも説教で語られ、聴かれていくのです。罪の赦しと永遠のいのちを与えて下さる福音が語られ、聴かれていくのです。「知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め(v16)」と、キリストのことばを土台として建て上げられていくのです。それは、神への賛美へと繋がっていきます。(v16)教会における礼拝、主日の歩み、教会の兄弟姉妹の交わりが告げられています。


その教会の「礼拝」と「交わり」に生かされ、日々の家庭・社会の歩みがあり、そこでも神礼拝をもって歩んでいきます。「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、…(v17)」「礼拝と生活」ではなく「礼拝の生活」です。礼拝、教会の奉仕の分野だけ、祈り、主イエスの名によってなすのではありません。すべての分野です。この後には、家庭の歩み(3:18~4:1)、社会の歩み(4:2~6)の教えが続いています。「名(v17)」とは、権威、本質を表し、イエス・キリストとの交わりに基づき、主ご自身の善き力に守られて言葉と行ないをなすのです。「すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。(1:28)」イエス・キリストが十字架で死なれたのは、神に背を向けた私たちが神に立ち返るためです。でも、それだけが目的ではなく、キリストの弟子として生きていくためです。肩肘張ってではなく、自然な歩みにおいて、キリストのように生きる人とせられていくためです。キリストは、それをなして下さることができるお方です。キリストは、世界を創造されたお方、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれ、その死に打ち勝ち復活され、今生きてともにおられるお方であられるからです。キリストは、獄中にあったパウロを力づけ、労苦しながら奮闘する者とされました。(1:29)


信仰生活は、独りでなされるのではありません。教会において愛を身に着け、平和と感謝の中でなされます。主日礼拝において、キリストの福音が語られ聴かれ、御言葉を土台とした交わりにおいて育まれます。主日礼拝は、日々の歩みへと続き、家庭や社会において、主イエスの名によって言葉を語り、行ないをなす素晴らしい幸いの中に生かされていくのです。自然な歩みにおいて、すべて主イエスの名によってなすキリストにある成人として立つ教会、一人ひとりとせられていきましょう。これを主イエスにあって心に刻み一年を大切に歩ませていただきましょう。