聖書メッセージ『後ろに退かず』(マタイ26:47~75)

聖書箇所 マタイ26:47~75
26:47 イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
26:48 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
26:49 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
26:50 イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
26:52 そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
26:53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
26:54 だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
26:55 そのとき、イエスは群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。
26:56 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。
26:57 イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
26:58 しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まではいって行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。
26:59 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。
26:60 偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
26:61 言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」
26:62 そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
26:63 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
26:64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
26:65 すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
26:66 どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる。」と言った。
26:67 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、
26:68 こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」
26:69 ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」
26:70 しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言った。
26:71 そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」
26:72 それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言った。
26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言った。
26:74 すると彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。
26:75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。


説教要旨
本日は、イエスの逮捕とユダヤ裁判の箇所を見ます。47節~56節は、イエスの逮捕が記されています。ユダと群衆がやって来ました。ユダは親愛を表す口づけを用い、イエスを捕える印としました。ユダがイエスに口づけした時、イエスは「友よ。何のために来たのですか。(v50)」と述べました。群衆はイエスに手をかけました。イエスと一緒にいた者のひとり(ペテロ)が(v51)、剣で大祭司の僕の耳を切り落としました。イエスはそれを制し、「剣を取る者はみな剣で滅びます。(v52)」と仰せられました。57節~75節は、イエスのユダヤ議会裁判とペテロのイエス否定が記されています。イエスは裁判を受けるため大祭司のもとへ連れて行かれ、ペテロはついて行きました。多くの者がイエスを死刑に処すために偽証した時、イエスは黙っておられました。でも、大祭司が「あなたは神の子キリストなのか、どうか。(v63)」と尋ねた時には、ご自身が神の右の座に着き、再び来られ正しくお裁きになられる神の御子、救い主であると宣言されました。(v64)大祭司はイエスを冒涜罪とし、ユダヤ議会は死刑に当たるとし、イエスの顔につばきをかけ、こぶしで殴りました。イエスがご自身について宣言された一方で、ペテロは幾度もイエスとの関係を否定しました。ペテロは自分の弱さに打ち砕かれました。(v75)

 

ここには主イエスのお姿が二つ示されています。第一は、神の救いの計画に自ら従われておられます。(v54、v56)ユダと群衆が捕えたのですが、父なる神の計画に従い自らを引き渡されたのです。イエスを否定したペテロとは対照的に、裁判においてご自身が神の御子、キリストであると宣言されました。主イエスは後ろに退かず、十字架の道を進まれました。第二は、罪に対し愛をもって勝利されておられます。イエスは、裏切ったユダを「友(v50)」と呼び、捕えに来たことは一目瞭然でしたが、「何のために来たのですか。(v50)」と尋ね、ユダに自らがしようとしていることを見つめさせました。最後の最後までユダに悔い改めを迫られたのです。また、この箇所は「手」に関することが多く記されています。(v47)(v48)(v50)(v55)(v67)主イエスは罪の力を愛で無力とされました。ペテロは主イエスとの関係を三度否定しましたが、主イエスはその隣で十字架に向かわれていました。いいえ、再出発の言葉をすでに与えられていたのです。(v32)罪に対する愛こそが主イエスの十字架でした。主イエスは神に敵する私たちを愛し、十字架に架かり、「お前が神の子なら十字架から降りてみよ」との罵りに十字架から降りることはなさいませんでした。一重に私たちの罪を赦し、罪の支配から解放し、永遠の死から救い、永遠のいのちに生かさせるためでした。(Ⅰペテロ2:22~25、4:8参照)

 

主イエスは「さあ、行くのです。(v46)」と私たちをも罪の世に神の救い(愛)をもたらす闘いに召しておられます。ペテロは闘いの方法を誤りました。剣を手に取りました。この世は、罪の力の連鎖があります。国や民族だけではなく、家庭、職場、学校、また教会がその中に置かれています。一つの言葉と態度が心を揺り動かし、棘が含まれた正しさに棘が含まれた正しさで応じようとします。どうしたら罪の力に対し愛の歩みへと導かれるのでしょうか。主イエスは「心は燃えていても肉体は弱い(v41)」「祈っていなさい(v41)」と仰せられました。第一に自らの罪深さを骨の髄まで認めることです。(v75)第二にそういう私たちを愛して下さった主イエスの十字架の愛に浸り、復活されたキリストの御力に拠りすがるのです。

 

弱さを覚える連続かもしれません。でも、主イエスは、決して私たちを諦めません。主イエスの十字架は、罪深さの隣に変わらずに立っております。ですから、私たちは主イエスとともに後ろに退かず、愛の闘いを一歩一歩進んでいきましょう。再出発を与えて下さるイエス・キリストに罪の重荷を下ろし、復活の御力で絶えず立ち上がらせていただきましょう。