聖書メッセージ『恵みと平安が』(コロサイ1:1~2)

聖書箇所 コロサイ1:1~2
1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、
1:2 コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。


説教要旨
本日から年の後半においてコロサイ書の御言葉に聴いていきます。コロサイ教会はエパフラスが福音を告げ建てられた教会です。パウロはエパフラスからコロサイ教会に誤った教えが入っていることを聞き、手紙を記しました。「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから(v1)」パウロは、コロサイ教会に使徒としての権威を明らかにしました。「使徒(v1)」とは、神から使信と権威を受けて遣わされた者を表します。それはパウロの能力や資質によらず、「神のみこころによる(v1)」と神の選びによるものでした。コロサイ書はパウロの思いの言葉ではなく、神がパウロを立て記した神の言葉です。私たちは、今この手紙をともに見ていきます。それは神の御言葉に聴いていくということです。教会は、神の御言葉にひたすらに聴く群れです。説教は、神の御言葉の説き明かしです。私たちは様々な状況の中に置かれます。神はそれをご存知であられ、私たちを礼拝式の場に呼び集められ、御言葉を通し語りかけて下さいます。教会は神の御言葉が正しく語られ正しく聴かれる中で建てられ、私たちの歩みは祝福の内に導かれていくのです。


「コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。(v2)」コロサイとは、小アジア、現在のトルコにあった町です。「聖徒(v2)」とは「選び分たれた」との意味で、道徳的な聖さを指すのではなく、神の一方的な憐れみにより神のものとされたとの意味です。問題や弱さがある。でも、神に選び分けられ神のものとされているのです。続いて「キリストにある忠実な兄弟(v2)」。「キリストにある(v2)」です。神のものとされたのは他でもなく、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いの故です。イエス・キリストを信じ、キリストと結び合され、神のものとされたのです。そして「兄弟(v2)」とは、キリストにより救われ、キリストをかしらとする横の関係、交わりを表しています。ここに「教会とは何か」が教えられます。教会は神のものとされた者たちです(縦)。同時に教会は、キリストをかしらとし、互いに結び合された者たちです(横)。洗礼を受けることは、キリストに結び合されるとともに、キリストのからだなる教会に結び合されたのです。

 

「私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。(v2)」 「恵み」とは、値しない者に対する神の一方的な恩寵です。「平安」とは、心の平安というよりも、神との平和(救い)です。私たちが救いに与ったのは、神の一方的な恵みです。また、信仰生活における土台も神の恵みです。私たちの歩みにおいて揺さぶられるような出来事があります。弱さを覚えます。でも、神の恵みによって課題や弱さの中にもいつも神がともにおられるのです。「「恵み」は、私たちの心の中に働きかけ、私たちの心をつかみ取るようにして導き、動かし、やがて私たち自身を変えていくという、動きのある「恵み」です。とりわけ、私たちをイエス・キリストの救いに向かって働かせ、動かし、感じさせ、経験させていくもの。そして、神の救いにとどまらせ、またそこから力強く動き出させる。これが、ルターの言う「恵み」なのです。(吉田隆牧師)」

 

神は、守谷にいる聖徒たち、わたしのもの、キリストにより救われキリストをかしらとする兄弟たちよと呼びかけ、あなたがたを恵みによって救い、恵みによって平和の内に導いてきた、これからもあなたがたはわたしのもの、恵みによって平和の内に導くと約束して下さっておられます。私たちは、今の課題や弱さの中で、「わたしのもの」とおっしゃって下さっている父なる神様を見失い易く、恐れる者です。でも、「恵みによってともにいる」とお約束して下さっておられる父なる神に信頼し、重荷を下ろし、神の恵みにすがり、神との平和の中にこの礼拝式から出て参りたいと願います。そして、神の恵みと平和を私たちの置かれた持ち場でもたらすイエス・キリストの証人として歩ませていただきたいと願います。