聖書メッセージ『福音のことば』(コロサイ1:3~8)

聖書箇所
1:3 私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
1:4 キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。
1:5 それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。
1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。
1:7 そういうものとして、あなたがたは私たちの同労のしもべ、愛するエパフラスから福音を学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、
1:8 御霊によるあなたがたの愛を、私たちに知らせてくれた人です。


説教要旨
昨週よりコロサイ書の御言葉に聴いています。パウロはここでコロサイ教会のために祈る時には父なる神に感謝していると記し(v3)、その感謝の理由を告げました。(v4~v5)「いつまでも残るのは、信仰と希望と愛(Ⅰコリント13:13)」とありますが、ここでも「信仰、愛、希望」の三つを挙げています。コロサイ教会は、キリストへの生き生きとした信頼をもって歩み、その信頼は愛の歩みを生じさせました。そして、そのキリストへの信頼と愛の歩みは、天の御国の望みに基づくものでした。キリストへの信頼をもって歩んでいても病に伏すことや心痛める試練があります。キリストに従うが故に信仰の闘いがあります。この時、パウロは信仰故にローマの獄中にありました。また、教会を建て上げる苦難もあります。(1:24)愛は犠牲や忍耐が伴います。そして地上において十分報われないこともあります。しかし、神は、天の御国において全き祝福を与えて下さるのです。顔と顔を合わせイエス・キリストを見、全き礼拝、全き喜び、全き平安、全き慰め、全きねぎらいを与えて下さるのです。コロサイ教会の信仰と愛の闘いは、この世の望みに基づくものではなく、天の御国の測り知れない祝福の望みに基づくものでした。

 

パウロは、天の御国の望みを「福音の真理のことばによって聞きました(v5)」と記しました。天の御国の希望は「福音の真理のことば(v5)」によりもたらされます。福音の中心は「神の恵み(v6)」です。神は一方的に私たちを愛し、御子イエス・キリストを与え、イエス・キリストは私たちを愛し、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれ、罪を赦し、神に立ち返らせ、新しいいのちを、そして死を越えた天の御国のいのちを与えて下さいます。人は福音を聞き初めて天の御国の確かな望みに生きることができるのです。教会が持っているもの、いいえ、教会にしかもっていないものは、イエス・キリストの福音です。使徒の働きで、ペテロが生まれつき足の不自由な人を癒したとき、この足の不自由な人は、何かもらえるのではないか、とじっとペテロたちを見ました。その時、ペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。(使徒3:6)」と告げました。足の不自由な人は起き上がり、神を賛美する者となりました。これは「しるし(使徒4:22)」です。キリストの福音は、神との交わりを失い、霊的に死に、永遠の死に向かっている人間を罪から救い、起き上がらせ、今そして永遠に神との交わりに入れます。人は、肉体の死というどうすることもできない苦しみを持っています。しかし、イエス・キリストを信じる者は、死んでも生きるのです。イエス・キリストが十字架で死なれ復活されたように、生まれつき足の不自由な男性が起き上がったように、イエス・キリストにあって私たちはが新しく生きることができる、そしてやがて死を越えてなお生きる天の御国が与えられていくのです。イエス・キリストの福音は、人を救う神の力です。

 

このイエス・キリストの福音を聞き受けいれた結果が示されています。(v6)私たちの「内」と「外」です。キリストの福音は、私たちの内に信仰、愛、希望の実を結んでいきます。私たちをイエス・キリストとキリストの教会と結び合せ、新しくさせ、天の御国へと導きます。また、この世に実を結んでいきます。福音により神の国が傷んだ世界に広げられていくのです。私たちが変えられ、私たちの周りが変えられていくのです。「あなたがたに届いた(v5)」「エパフラスから福音を学びました(v7)」とあります。福音を宣べ伝え、福音に生きる歩みが必要です。一枚のチラシが無駄にはなっていないのです。弱さを覚えるからこそ、キリストにすがりキリストの福音に生きようとする私たちの歩みが無駄になっていないのです。

 

年の後半、イエス・キリストの福音を本当に理解し、内に外に実を結んでいく教会とせられていきたいと願います。