聖書メッセージ『証しに生きる』(コロサイ4:5~6)

聖書箇所 コロサイ4:5~6

4:5 外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。

4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。

 

説教要旨

先回、パウロはコロサイ教会に「たゆみなく祈ること」を教え、同時に「自らの宣教の働きのために祈ってほしい」と祈りを要請しました。続いてコロサイ教会の者たちも「主イエスの証に生きる」ことを教えました。「外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。(v5)」「外部の人たち(v5)」とは、創造主なる神に背き、イエス・キリストを救い主と受け入れていない人々を指しています。「機会(v5)」とは、物理的な時間というよりも、外部の人たちと接するその時々の機会です。「活かし」は「贖う」との言葉です。その機会を罪の支配から買い取り、主イエスの証しに用いるのです。「知恵をもって行動しなさい。(v5)」神の御心はどこにあるのか、神に喜ばれる歩みは何かを思慮深く判別して歩み、主イエスの証しに生きるのです。私たちはイエス・キリストの証人として歩んでいます。日々の生活や働きの中で聖書や教会のことを直接お話しする機会は多くないでしょう。でも、「行動する(歩む)(v5)」と、通常の歩みの中で、外部の人に対して一つひとつの機会を買い取り用いて、神の喜ばれる歩みを思慮深くなし、キリストの証人として歩む存在として生かされているのです。

 

続いて、パウロは、機会を罪の支配から神の御心に買い取り、主イエスの証しに生きていくことにおいて、「言葉」が大切であることを告げます。「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。(v6)」「親切(v6)」優しく思いやりのある言葉です。「塩味の効いたもの(v6)」「塩」は「防腐」と「味付け」の働きをします。人を腐らせず、人を建て上げる言葉です。「いつも(v6)」とあります。そのような言葉を絶えず求めていきます。そのときに「そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります(v6)」と導かれるのです。「答えたら(v6)」とあります。人から悩みを打ち明けられることが出てくるのです。「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には(Ⅰペテロ3:5)」と、内にある希望、喜びについて尋ねてくる人が出てくるのです。その時に語るのですが、語ることにおいて大切なことは、言うまでもなく十分に「聴く」ことです。相手は気持ちを聞いてもらいたいだけの時があります。アドバイスを具体的に求められている時もあります。主イエスを証しすることは闇雲にというわけにはいきません。人格と人格の交わりの中でなされます。相手の状態を弁えずに、福音の言葉を伝え続け、正しい言葉を語り続ける時に逆に神と主イエスから離し、心を頑なにさせてしまうことがあります。でも、親切で人を建てる言葉を絶えず求め、十分に人の話を聴いていく時に、神が一人ひとりの必要に応じて語る言葉を用意して下さるのです。

 

私たちにおいて必要なことは、「たゆみなく祈りなさい(v2)」と、神と交わり、神の恵みに生かされていることです。「知恵をもって行動しなさい(v5)」の直訳は、「知恵の中に歩みなさい」です。真の知恵である(2:3)イエス・キリストとともに歩んでいくことです。「親切(v6)」と訳された言葉は、神の恵み、優しさ、好意に用いられています。神の恵み、優しさを受けての「親切」な言葉ということです。また、神と交わり、神の前に魂が砕かれ、神から力を受けての「塩味の効いた」言葉ということです。

 

私たちを愛し、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれ、死に打ち勝ち復活されたイエス・キリストは、今日もともにおられます。失敗し落ち込み弱さで苦しんでいても、それを全てご存知でなおともにおられ、祈りを聞き、恵みと塩味の効いた御言葉を語りかけて下さっておられます。ですから、弛むことなく祈り、その主イエスと交わっていきましょう。その中で機会を神の御心に買い取り、知恵をもって歩み、親切と塩味の効いた言葉を絶えず求め、十分に聴き、必要に応じて言葉を語り、主の証しに生きて参りましょう。神の御恩寵の中で主の証人として歩んでいきましょう。