聖書メッセージ『幸いの中を』(Ⅲヨハネ1~2)

聖書箇所 Ⅲヨハネ1~2
1:1 長老から、愛するガイオへ。私はあなたを本当に愛しています。
1:2  愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。


説教要旨(成長祝福式)
成長祝福式を覚えながら、第三ヨハネの手紙の御言葉に聴いていきます。第三ヨハネの手紙は、主イエスの十二弟子ヨハネがガイオに記した手紙です。ガイオがどのような人物であったか定かではありませんが、ヨハネはガイオをとても大切に思っていました。愛するという言葉を繰り返し、親が愛する我が子の幸いを願うように、ガイオの幸いを祈る言葉を告げます。「あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。(v2)」「人間とは何か」を初めに考えたいのです。世界は偶然あるのではなく、世界を造られた神がおられます。その神が私たち人間を創造されました。(創世記1:27、2:7)聖書は人間を「肉体」と「精神」から成っていると教えます。「肉体」は手、足、顔、目等のことです。「精神」は二つによって成っていると考えられ、感情、意志等の「心」とその心の根底にある「たましい」です。「たましい」は「神との交わりを持つ部分」です。

 

ヨハネはガイオに「あなたのたましいが幸いを得ている(v2)」と述べました。私たち人間は、神の愛の中で神を礼拝し、感謝し、神の言葉に聴き従う者として造られました。しかし、人は神が「食べてはならない。食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2:17)」と命じられた木の実を食べ、神の命令を破りました。その結果、神との交わりを失い、また人と人の交わりにも歪みが生じ、神から委ねられた世界を正しく治めることができなくなりました。世は悲しみに満ち、愛に飢え渇いています。神はご自分に背く私たちを愛し、罪の中にあることを深く悲しまれ、二千年前神の御子イエス・キリストを人としてこの地に与えて下さいました。(Ⅰヨハネ4:10)イエス・キリストは、私たちを愛し、私たちの罪の身代わりに十字架で神の裁きを受け、死なれ、死の中から復活されました。このイエス・キリストを信じる時に、神の前に罪が赦され、神との関係が回復します。神の子どもとなり、「天の父よ」と呼ぶ者とされます。自分の命を自分のためだけに使って生きていた私たちが、人のために自分の命を使う者とせられていきます。(v6、v8)それが「たましいが幸いを得ている(v2)」状態です。

 

ヨハネは、たましいが幸いを得ているように日々の歩みの祝福と体の健康を祈りました。(v2)神はご自身に信頼していく者の歩みを支え、一つひとつ道を備え、体を守って下さいます。信仰は人間の努力や勤勉を否定しません。神に信頼しつつ自らなすべき分を誠実になしていきます。また、キリスト者には苦難や病気がないということでもありません。でも、神は、私たちをご存知で、ご自分に信頼していく歩みにおいて真の必要を備えて下さいます。(マタイ6:31~34)ヨハネは、このように歩みと体の大切さを述べました。但し、歩みと体が幸いを得ているように、たましいが幸いを得るようにと逆ではありませんでした。たましいが幸いを得ているように歩みと体が幸いを得るようにでした。私たちは、どうしても目に見えるもののみの幸いに心が動きます。でも、真の幸いは、人はたましいを持っている存在であるので、歩みと体だけではなく、たましいが幸いを得ていることです。いいえ、歩みと体の幸いの土台は、たましいが幸いを得ていることであるのです。ヨハネの祈りの言葉は、愛するガイオに、あなたはたましいが幸いを得ている、だから、神は、あなたの道を祝し、体を守って下さるとの希望の約束であるようにも見えます。

 

子どもたちが「たましいが幸いを得るように」そして「すべての点で幸いを得、健康であるように」祈りたいのです。また、私たちも十字架で死なれ復活されたイエス・キリストを見上げ、神に立ち返り、神の愛の中で、苦しみや重荷において、まず神に信頼し祈り求め、神が下さる真の祝福の中を歩んで参りましょう。神は、ご自身との関係を第一としていく者に、それに加えて一つひとつの必要を、真の祝福を与えて下さるのです。