聖書メッセージ『私たちの救い』(詩篇148:1~14)

聖書箇所 詩篇148:1~14

148:1 ハレルヤ。

天において主をほめたたえよ。

いと高き所で 主をほめたたえよ。

148:2 主をほめたたえよ すべての御使いよ。

主をほめたたえよ 主の万軍よ。

148:3 日よ 月よ 主をほめたたえよ。

主をほめたたえよ すべての輝く星よ。

148:4 天の天よ 主をほめたたえよ。

天の上にある水よ。

148:5 主の御名をほめたたえよ。

主が命じて それらは創造されたのだ。

148:6 主は それらを世々限りなく立てられた。

主は 去りゆくことのない定めを置かれた。

 

148:7 地において主をほめたたえよ。

海の巨獣よ すべての淵よ。

148:8 火よ 雹よ 雪よ 煙よ。

みことばを行う激しい風よ。

148:9 山々よ すべての丘よ。

実のなる木よ すべての杉よ。

148:10 獣よ すべての家畜よ。

這うものよ 翼のある鳥よ。

148:11 地の王たちよ すべての国民よ。

君主たちよ 地をさばくすべての者たちよ。

148:12 若い男よ 若い女よ。

年老いた者と幼い者よ。

148:13 主の御名をほめたたえよ。

主の御名だけがあがめられる。

その栄光が 地と天の上で。

148:14 主は御民の角を上げられた。

主にある敬虔な者すべての賛美を

主の近くにいる民 イスラエルの子らの賛美を。

ハレルヤ。

 

説教要旨(元旦礼拝)
2020年元旦を迎えました。ここ数年、元旦礼拝では、詩篇146篇からの「ハレルヤ詩篇」を見ております。この詩篇148篇は、三つの部分に分かれております。(v1)(v7)(v14)詩人は、第一に天にあるものに向かって主をほめたたえよと呼びかけています。天の御使いに向かい(v2)、空にある太陽、月、星に向かい主をほめたたえよと呼びかけています。(v3、v4)その理由を告げます。(v5、v6)「主が命じて(v5)」と、神の御意志により創造されたからです。世界と私たちを創造された神がおられます。真の神は、創造者であられます。世界は偶然在るのではなく、神の「在れ」との意志によって「在る」のです。私たちは偶然在るのではなく、神の「在れ」との意志によって「在る」のです。私たちの存在の源は、私たちを創造された神の「在れ」との意志であるのです。創造されたたけではありません。「主はそれらを世々限りなく立てられた。…(v6)」神は創造された被造物を存続せしめ、秩序をもって治めておられます。被造物は神が保って下さらなければ一瞬たりとも存続することはできません。無となり、無秩序となります。私たちは、自分で生きているのではなく、神に生かされており、私たちの歩みは、ただ自分がなしているのではなく、神の主権の下、神の大きな御手の中で導かれています。一年の始め、創造者であられ、主権者であられる主の御名を崇めたいと願います。

 

詩人は、第二に地にあるものに向かって主をほめたたえよと呼びかけています。(v7~v12)v5~v6と同様、その理由を告げます。(v13)主をほめたたえるのは、主のみが神であられ、神の栄光が地と天の上で帯びておられるからです。

 

詩人は、神の創造と摂理の御業を覚え、天と地の被造物に向かってほめたたえよと促しましたが、最後は「神の民」に焦点を絞っています。(v14)「御民(v14)」とは「神の民」、私たち「教会」のことです。「主は御民の角を上げられた(v14)」神がご自身の民に救いの御業をなされたことを表しています。恐らくバビロニア捕囚解放を表していたでしょう。そして、新約聖書では、「角」を用いて、神が救い主を与えられたことが告げられています。(ルカ1:68~69)神は、神に背を向け、神から離れ罪の中にあった私たちを愛し、御子イエス・キリストをこの地に遣わし、十字架にかけ身代わりに裁かれ、私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えて下さいました。神を恐れなかった私たちを「主にある敬虔な者(v14)」とし、神から遠く離れていた私たちを「主の近くにいる民(v14)」として下さいました。2019年最後の主日礼拝でイザヤ書46章を見ました。それ以来、同じイザヤ書43:1~4が心に響いています。神は「あなたを創造した故にわたしの目には高価で尊い、愛している」と。その通りです。でも、それだけではない。「あなたを贖った。あなたはわたしのもの。それ故にわたしの目には高価で尊い、愛している」と仰せられているのです。贖われている恵みです。神に背を向けていた私たちと神に立ち返った私たちとは全く違うのです。特別なる神の恵みです。神の民とされた者こそ神の創造だけではなく、神の救いの御業を称えることができるのです。その務めが委ねられているのです。そして神のものとされている救いの恵みに驚き、神の平安の内に歩み、賛美していくときに、神の救いの御業、イエス・キリストの十字架と復活の救いがこの世に証され、神の救いの祝福が私たちの家庭や持ち場に広げられていくのです。

 

「ハレルヤ」で始まり「ハレルヤ」で終わっています。創造の神、御手で導いて下さっている摂理の神、そして何よりも私たちを罪から贖い「わたしのもの」「ともにいる」「尊い、愛している」と仰せられている贖い主を仰ぎ見、「ハレルヤ」と神を称え信頼し一日を始め、「ハレルヤ」と神を称え委ねて一日を終えていく信仰の旅路を新しい年送っていきましょう。