聖書メッセージ『主はご自分の民を愛し』(詩篇149:1~9)

 

聖書箇所 詩篇149:1~9

149:1 ハレルヤ。新しい歌を【主】に歌え。敬虔な者たちの集まりで主への賛美を。

149:2 イスラエルは自らの造り主にあって喜べ。シオンの子らは自らの王にあって楽しめ。

149:3 踊りをもって主の御名をほめたたえよ。タンバリンと竪琴に合わせて主にほめ歌を歌え。

149:4 【主】はご自分の民を愛し貧しい者たちを救いをもって装われる。

149:5 敬虔な者たちは栄光の中で喜び躍れ。自らの床の上で高らかに歌え。

149:6 彼らの口には神への称賛があり彼らの手には両刃の剣があるように。

149:7 それは国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため

149:8 彼らの王たちを鎖に彼らの貴族たちを鉄のかせにつなぐため

149:9 また書き記されたさばきを彼らの間で行うため。これは主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。

 

説教要旨

元旦礼拝では、ここ数年146篇から始まる「ハレルヤ詩篇」を見ており、昨年は148篇を見、今年は149篇に聴いて参ります。詩人は「ハレルヤ(v1)」と神を称え、イスラエルの民に主をほめたたえよと促しています。148篇では、あらゆる被造物に向かって神への賛美を促し、その最後のv14でイスラエルの民に救い主をほめたたえよと促していました。この149篇は、イスラエルの民のみに焦点を当て、主への賛美を促しています。イスラエルの民を「敬虔な者(v1、v5、v9)」と繰り返し呼んでいます。これは、契約に基づいた主の慈しみを表す「ヘセド」という言葉から派生しています。「敬虔な者」とは人間側の信仰深さや道徳的聖さを表しているのではなく、「主の慈しみを土台に生きる者」のことです。詩人は、主の慈しみに生きるイスラエルの民に主をほめたたえよと促しているのです。

 

何故主をほめたたえよと促しているのでしょうか。「主はご自分の民を愛し 貧しい者たちを救いをもって装われる(v4)」「愛し(v4)」は「喜ぶ」「好む」「受け入れる」とも訳される言葉です。神は、ご自分の民、イスラエルを愛し、喜んでおられるのです。父なる神は、神の子イエス・キリストが洗礼を受けられた時、「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。(マタイ3:17)」と御声をかけましたが、主は契約を結んだイスラエルを愛し、喜んでおられるのです。同様に、主なる神はイエス・キリストの十字架により贖われた私たちを愛し、喜び、受け入れて下さっておられます。新しい一年を始めるにあたり、私たちは主の愛を覚えたいのです。続いて、「貧しい者(v4)」とは「心砕かれた者」を表します。神の前に心砕かれ、謙り、神に信頼する者のことです。「装われる(v4)」は「輝きを与えて下さる」との意味です。主は神に拠り頼む私たちを救いをもって装われ、輝かせて下さるのです。私たちが自分で輝くのではなく、主ご自身が輝かせて下さるのです。私たち自身は弱さを覚えたり、意気消沈することもあります。しかし、主は、弱さを覚え主に拠り頼むとき私たちを輝かせて下さるのです。詩人は、主は私たちを愛し、救いをもって輝かせて下さる、だから主をほめたたえよと促しているのです。

 

この主の慈しみへの賛美がv6以降がらりと変わります。詩人は、主への賛美を促しているだけではなく、手に剣をと促しております。(v6)その理由は、「それは国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため 彼らの王たちを鎖に彼らの貴族たちを鉄のかせにつなぐため また書き記されたさばきを彼らの間で行うため。(v7~v9)」この詩篇は、歴史において敵国に復讐し、勝利し、領土を奪う宗教戦争に使われてきました。しかし、それは誤りでした。148篇において、全世界が神をほめたたえよと促していることも踏まえて考えなければなりません。この御言葉は、神の民が造り主なる神を知らず悪の力の下にある人々を神の下に導くことを表しています。神は、すべての人が救われることを望んでおられます。そういう意味で、この「両刃の剣(v6)」は聖霊の剣のことです。パウロはエペソ書でこの世で主の証しのために神の武具を身に着けるよう勧めました。「これは 主にある敬虔な者すべての誉れである(v9)」神の御国に仕える使命に生きることが私たちにとって「誉れ(v9)」であるのです。そして、十字架で死なれ復活され罪と死に打ち勝たれた救い主イエス・キリストこそが私たちの「誉れ(v9)」であるのです。

 

教会は、敬虔な者たち、主の慈しみに生きる者たちの集まりです。主は、私たちを愛し、喜んで下さっておられます。主は、ご自身に拠り頼む私たちを輝かせて下さいます。そして、主は、私たちに聖霊の剣を与え、悪の力に勝利させ、救い主イエス・キリストをお証する宣教の業にお用い下さいます。元旦の朝、私たちは、その主を見上げ、「ハレルヤ」とほめたたえましょう!