聖書メッセージ『主の守り』(イザヤ43:2~3前半)

聖書箇所 イザヤ43:2~3前半

43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

43:3 わたしはあなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。 

 

説教要旨

「贖われた喜びに生きる教会」として2021年を歩んでおります。v2は、贖われた者に対する「主の守り」が語られています。コロナ感染急拡大により明日から茨城県に緊急事態宣言が発令されていく中で本日の御言葉に聴いて参ります。「水の中」「火の中」とは、民の「苦しみ」「困難」を象徴的に表しています。第一義的には、バビロニア捕囚の苦しみを表しています。(42:25)バビロニア捕囚はイスラエルの罪に対する神の裁きでした。苦しみには、自分の罪の故に刈り取るものがあります。その一方で理由が分からない苦しみの中に置かれることもあります。家族のことで痛むこと、病を得ること、仕事の人間関係で悩むこと、神に従う信仰故の戦いや孤独があります。苦しみは、多様です。

 

しかし、その苦しみにおいて、神のものとされた私たちに「主の守り」があるのです。「主の守り」という時に、水の中や火の中から引き出される、即ち、苦しみの状況が解決することがあります。聖書は、その神の守りを明確に語っています。ダニエルは火の中から、ペテロは牢の中から助け出されました。しかし、本日の御言葉において直接語られていることは、水の中や火の中での守り、即ちバビロニア捕囚の中で守られるということでした。主の守りは、苦しみの中で主がともにいて下さる守りです。苦しみの中で痛みや戦いを覚えながら支えられていく守りです。主の愛が決して私たちから離れない守りです。(ローマ8:35~38)ある方は、苦しみが取り除かれるという主の守りがあります。ある方は、苦しみの中で歩みが支えられていくという主の守りがあります。ある方は、困難の中で信仰が増していくという主の守りがあります。主の守りは、多様です。しかし、確かなことは、主は召され贖われた私たちともにおられ、全てのことを働かせて益として下さる、最善をもって導いて下さいます。(ローマ8:28)

 

なぜ、主は私たちを守ることができるのでしょうか。「わたしは、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。(v3前半)」重ねるようにして、主ご自身のことが宣言されています。「あなたの神、主(v3)」:契約を結ばれた神、罪にも関わらずその契約を破棄しない慈しみ深い神であることを表しています。「イスラエルの聖なる者(v3)」:正しさだけではなく、憐れみ深さにおいて他に並び立つ者はない神であることを表しています。(イザヤ55:6~8)「あなたの救い主(v3)」:救い出すことができる力をお持ちのお方であることを表しています。そのお方がともにおられる、だから苦しみの中で守られていくのです。もう一度、v2を思い巡らすと、「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり(v2)」とあります。あたかも私たち独りで水の中を渡っているように思うのです。しかし、主がともにおられるのです。どこに主はおられるのでしょうか。水の中です。詩篇77篇は、バビロン捕囚の神の裁きを受けている中で神はご自分の民を忘れてしまったのだろうかとの歌です。(77:8~10)その中で、詩人は、神のエジプト脱出の救い御業を思い起こし思い巡らし(77:11~12)、告白します。「あなたの道は 海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡は見た者はいませんでした。…(77:19~20)」主の通り道は大水の中にあったのです。私たちの目では、主の足跡も見えないのですが、でも、主は確かにその海の只中にともにおられ、海の只中に道をご用意下さるのです。

 

コロナ感染急拡大の中で緊張があります。苦しみが長引く中で信仰が揺さぶられます。しかし、この困難の中に主がともにおられ支えて下さる、通り道をご用意下さる、全てのことを働かせて益として下さいます。主の十字架と復活の御業を思い起こし、主のこれまでの導きを思い巡らし、「主の守り」の信仰に立たせていただきましょう。そこに重ねるようにして「あなたの救い主(v3)」とご自身を宣言された主の御思いがあるのです。