春の喜び

  • 春よ 来い

花粉症の私にとって春はちょっと辛い季節です。

でも、40代になった頃からでしょうか。春がとても待ち遠しくなりました。

冬の寒さが身にこたえること、子どもたちが体調を崩し易い冬が早く過ぎてくれないかとの思い、そして何よりも寒風の下でじっと耐えてきた草木が一斉に若芽を吹き、花々が咲き誇る美しさに心躍るからです。

春の暖かな日となり、こわばった心身が解きほぐされていくのを感じます。

 

  • ある投資家の言葉

日本のある有名な投資家が、クリスチャンではないのですが、こう言ったそうです。「神様は、人間を喜ばせようとしているのではないかと思えてならんのですよ。人間の目よりも下にある

タンポポなどの花は上向きに咲いている。人間の目と同じような高さのひまわりなどは横向きに咲いている。人間の目よりも高い桜などは下向きに

咲いている。」

「なるほどなー」と感心しました。

 

  • 「が」と「を」の違い

一文字で大きな違いがあります。「人間がつくった神」と「人間をつくった神」です。聖書が語る神は、創造者なる神です。

創造者なる神は、母の胎の内で私たちを形造られ、この世に誕生させ、生かしておられます。

私たちの存在は決して偶然ではありません。創造者なる神の作品です。

そして、神は造られた私たちを愛しておられます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」 

私たちはどうしても何かができることに価値の土台を置きます。勿論、何かができることは、尊いことでしょう。しかし、その前に「在る」ことに価値の土台を置くことが、自分や自分の周りの人にとって本当は大切なことであるのではないでしょうか。

 

  • 大切に丁寧に

神は、造られた私たちが神に背き神から離れていることを悲しみ、神の独り子イエス・キリストを十字架にかけ、神に背く私たちの罪を完全に赦し、神の子どもとし、大切に丁寧に導いて下さいます。

イエス・キリストは、仰せられました。「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、

あなたがたには、もっと良くしてくださらないで

しょうか。(マタイ6:30)」

春の喜び

 

コロナが長引く中、またそれぞれの試練の中、暖かな陽ざしの下で美しい花を見つめつつ、造り主なる神を「天の父なる神」と信頼し、一日一日一歩一歩歩んで参りましょう。その時に変えられない過去の出来事の意味が変わり、今日を生きる力が与えられ、明日への望みを抱いて歩んでいくことができるのです。

 

守谷聖書教会

牧師 鈴木洋宣