聖書メッセージ『彼は生きておられる』(イザヤ53:11~12)

聖書箇所

53:11 「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。

53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」

 

説教要旨

イースターおめでとうございます!受難節の期間、イザヤ書53章の「しもべの歌」の御言葉に聴いてきました。しもべはイエス・キリストを示し、イエス・キリストは十字架の道を歩まれ、十字架で苦しまれ忍ばれ死なれ、救いの御業を成し遂げられました。v11~v12は、しもべの復活が語られています。主なる神ご自身の歌として、しもべは死で終わりではなく、復活すると語られています。(v11)イエス・キリストは十字架で死なれ、墓に葬られました。完全に死なれました。これで全て終わりと考えられました。弟子たちは絶望しました。しかし、四福音書すべてが告げることは、イエス・キリストは、死の中から復活されたのです。栄光の体に復活し、天に昇られるまでの四十日間、弟子たちに姿を現されました。聖書は復活の証拠を静かに告げております。主イエス・キリストが埋葬された墓は空で、巻かれていた亜麻布はそのまま置かれていました。復活された主に出会った弟子たちは、絶望から喜びに溢れ、主の復活を宣べ伝えました。弟子たちが主の復活を告げた時に、ユダヤ指導者たちは、イエスの亡骸を人々の前に出すことはできませんでした。「わたしはよみがえりです。いのちです。…(ヨハネ11:25~26)」世界において、こう宣言したお方は、他にはおられません。イエス・キリストは、復活されたのです。

 

イエス・キリストの復活は、私たちに何をもたらしたのでしょうか?「わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、…(v11)」イエス・キリストの復活は、イエス・キリストの十字架の死によって神の救いの御業が成し遂げられたことの保証です。もしイエス・キリストが十字架で死んで終わりであったならば、ただの偉人の死に過ぎません。神の救いの御業が成し遂げられた保証はどこにもありません。しかし、イエス・キリストが復活されたので、十字架の死によって神の救いの御業は確かに成し遂げられたことを保証します。そして、それ故にイエス・キリストを信じる私たちは完全に罪赦されるのです。(イザヤ1:18)(イザヤ43:25)

 

「それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。(v12)」しもべが勝利者であることを表しています。イエス・キリストの復活は、イエス・キリストが死とサタンに打ち勝たれたことを証ししています。それ故にイエス・キリストは、私たちを罪の支配からご自身のものとし、神から離れている霊的に死んだ状態から神との交わりを持つ霊的にいのちの状態へと移してくださいます。(エペソ2:1~6参照)新しいいのちに今生き返らせてくださいます。私たちは、イエス・キリストを信じてもなお弱さや失敗があります。でも、私たちの魂の最も深い部分「内なる人(Ⅱコリント4:16)」は、すでに主が、聖霊が住んでおられ、日々新しくしてくださっています。そして、イエス・キリストの復活は、やがて罪から全く解放された栄光の体に復活させてくださることの保証です。イエス・キリストは、死の勝利者として、私たちを今復活のいのちに与らせ、やがて栄光の体によみがえらせる勝利の道に導いてくださいます。

 

イースター礼拝の日、イエス・キリストは、私たちに御言葉において臨まれています。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。…(ヨハネ11:25~26)」死に打ち勝ち復活されたイエス・キリストだけが、私たちを神の前に義とし、復活の新しいいのちに与らせ、栄光の体を与えてくださるお方です。イエス・キリストは尋ねておられます。「このことを信じますか。(ヨハネ11:26)」(イザヤ53:1参照)「はい、信じます」と告白し、罪の赦しを得、また罪の赦しを確信し、感謝しましょう。試練の中で、罪との闘いの中で、肉体の弱さを覚える中で、死に勝利されたイエス・キリストに拠り頼み、復活の御力によって日々立ち上がらせていただきましょう。そして、やがて与えられる栄光の体の復活に確かな望みを抱いて歩んで参りましょう。