聖書メッセージ『神の召し』(Ⅰコリント1:4~9)

聖書箇所 Ⅰコリント1:4~9

1:4 私は、キリスト・イエスにあってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも私の神に感謝しています。

1:5 あなたがたはすべての点で、あらゆることばとあらゆる知識において、キリストにあって豊かな者とされました。

1:6 キリストについての証しが、あなたがたの中で確かなものとなったからです。

1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けることがなく、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待ち望むようになっています。

1:8 主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところがない者としてくださいます。

1:9 神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。

 

説教要旨

「贖われた喜びに生きる教会」との年間標語を覚えつつ御言葉に聴いております。昨週は「神の選び」を見ました。本日は「神の召し」を覚えます。神は選んだ者を救いへと召してくださいます。(ローマ8:30)Ⅰコリント書は、使徒パウロが第二次伝道旅行において福音を伝え、建てられたコリント教会に第三次伝道旅行中のエペソで記した手紙です。コリント教会は分裂や不道徳や教理の問題を抱えていました。その知らせを受けパウロはどれほど苦しみ胸を痛めたことでしょう。しかし、パウロは手紙の冒頭でコリント教会に与えられた神の恵みへの「感謝」と真実な神への「希望」の言葉を語っています。(v4)(v8)コリント教会には問題もあるが、良い部分もあるのでそれを取り上げて神に感謝しているのではありません。コリント教会にキリストにあって与えられた神の恵みの故にコリント教会のことをいつも神に感謝していると述べています。(v4)その与えられた神の恵みがv5~v7で語られています。パウロによりキリストについての証しがなされ、受け入れられ確立され(v6)、キリストの福音を教える賜物と理解において豊かな者とされていると述べています。(v5)その結果、信仰の歩みをなし主の教会を建て上げていく恵みの賜物が与えられ、キリストの再臨、救いの完成を待ち望む者とされていると語っています。(v7)さらに、主はコリント教会を堅く保ち、再臨の日には全き聖めを与えてくださるとの将来の希望を語っています。(v8)その根拠は「神は真実です(v9)」「真実(v9)」とは、神は救われた者たちを完成まで守り導いてくださることを示しています。そしてもう一度救いの出発を覚えさせております。「その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。(v9)」「召されて」とは「呼ぶ」との言葉です。直訳は「主イエス・キリストとの交わりの中に呼ばれた」です。神の召しとは、神が私たちを主イエス・キリストとの交わりと主イエス・キリストをかしらとする教会の交わりの中に呼ばれたことです。私たちが主イエス・キリストの救いに与った背後には、神ご自身が選んだ私たちを神の時に呼んでくださった「神の召し」があったのです。

 

神の召しの方法は、「神の言葉(外的召し)」と「聖霊の働き(内的召し)」です。「キリストについての証しが、あなたがたの中で確かなものとなったからです(v6)」神は、私たちに福音、イエス・キリストについての証しを説教や人を通し伝えてくださいました。また神は、神も罪も救いも分からず、ひたすら世にあるものを求め続けていた霊的無理解の中にあった私たち(Ⅰコリント2:14)に、聖霊の働きを与え、イエス・キリストの救いへの理解と信頼に導いてくださいました。

 

パウロは、神はその召した私たちを最後まで堅く保ち、イエス・キリストの再臨の日には、全く聖めてくださると語りました。(v8)何故、パウロはそのようなことが言えたのでしょうか。コリント教会は、罪の弱さと課題を抱えていました。私たちもそうです。罪の弱さや課題があります。しかし、神は、召した私たちと私たちの教会を決して見放さず、主の再臨の日には全く聖めてくださると感謝と希望を持つことができるのは何故でしょうか。「神は真実です(v9)」神は真実なお方だからです。パウロは、コリント教会の弱さを見ている時にも、コリント教会を召された神ご自身の真実を見て信頼し、神にいつも感謝し希望をもっていたのです。(v3)(v8)

 

神は、神も罪も救いも無理解であった私たちを宣教の言葉と聖霊の働きによってイエス・キリストと教会の交わりの中に呼んでくださいました。神の召しを覚え、心より感謝をささげましょう。そして、神は召した私たちを最後まで堅く保ち、終わりの日には全き聖めを与えてくださる真実なお方です。その真実な神をしっかりと見て信頼し、ますます御言葉に聴き、ますます聖霊の働きを求め、造り変えられていきたいと願います。