聖書メッセージ『神と人とに慈しまれ』(ルカ2:51~52)

聖書箇所 ルカ2:51~52

2:51 それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。

2:52 イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。

 

説教要旨(子ども成長祝福式)

本日は子ども成長祝福式を覚えつつ御言葉に聴いて参ります。来月には、イエス・キリストのご降誕をお祝いするクリスマスがあります。イエス・キリストは家畜小屋で生まれ、飼い葉桶(家畜の餌箱)に寝かされました。みどり子のイエス様のことは聖書に書かれていることを私たちは知っていますが、少年イエス様のことは聖書に書かれているのでしょうか。聖書には、わずかですが、イエス様の子ども時代のことが語られています。「幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。(v40)」「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。(v52)」イエス様の成長が記されています。イエス様は肉体的に成長されました。また、イエス様は神さまを敬うことを土台として知恵が成長していかれました。(箴言1:7)

 

そしてイエス様は、神さまに愛されて成長されました。神の恵みがずっとあったのです。(v40)これはイエス様だけではありません。神さまは私たち一人ひとりを造られ、命を与えられ、愛されています。大切にされています。でも、ある人は思うかもしれません。イエス様は良い子だったから神さまに愛されていたのではないだろうか、でも、自分は…と。神さまは、確かに私たちの罪を悲しまれます。神さまなんか知らないと神さまを無視していることを深く悲しまれています。神さまの喜ばれない思いや言葉や行いをすることをすべて御存知でそれを悲しまれます。でも、神さまは、そのような神さまに背を向けている私たちを愛し、神さまの独り子イエス様をこの地に遣わしてくださいました。そしてイエス様は神さまに従われ、人に仕え歩まれましたが、その最後は十字架で死なれました。神さまは私たちを愛し私たちの罪の身代わりにイエス様を十字架でお裁きになられ、イエス様を信じる時、私たちのすべての罪を赦してくださるのです。神さまは良い子だから愛してくださっておられるのではなく、神さまに背を向け離れ様々な罪の歩みをしてしまう私たちを愛し、イエス様の十字架によって、私たちのすべての罪を赦してくださいます。そして、神さまの子どもとし、私たちを愛し、ともにおられ、守り導いてくださいます。

 

イエス様は、神さまに愛されましたが、神さまだけではなく、「人とにいつくしまれ(v52)」とあります。少年イエス様は人に愛され成長されました。私たちも人に愛されてここまで成長してくることができました。自分ひとりで成長してきたのではありません。神さまは私たちに親や周りの人々を備え、その愛の中で私たちをお育みくださいます。私たちはおむつを替えてもらったことも、母乳やミルクを受けたことも一切記憶にありません。でも、神さまが備えてくださった親や周りの人たちが育ててくれたのです。そして神さまは、私たちを教会に置き、教会の愛と祈りの中で成長させてくださいます。今日ここに子どもたちの名前が挙げられ、神さまの祝福を願い教会の一つの祈りとして捧げました。とても大きなことです。主なる神さまは一つ教会の祈りを確かにお聞きくださいました。そして一人ひとりの子どもたちを懇ろに導かれます。でも、今日だけ祈ってお終いではありません。毎週の祈祷会で一年間祈り続けていきます。神さまは、私たちを愛し、教会の祈りの中に置きお育みくださいます。私たちは、その神さまに信頼し従っていく人生、そして私たちが成長していくために神さまが与えてくださった親や隣人に仕えていく歩みをなしていきたいと願います。(v51)私たちを育てるために神さまが与えてくださった親や隣人は弱さを抱えています。(v50)でも、仕えていくのです。闘いがありますが、基本的に下に身を置いていくのです。子どもたちが神と人の愛の中で成長し、神に従い人に謙遜に仕える人として成長していくことを祈り続けましょう。私たちも神と人の愛の中で神に従い人に謙遜に仕えていく土台に立ち返り続けていきましょう。