聖書メッセージ『主をほめたたえよ』(詩篇150:1~6)

聖書箇所 詩篇150:1~6

150:1 ハレルヤ。神の聖所で神をほめたたえよ。御力の大空で神をほめたたえよ。

150:2 その大能のみわざのゆえに神をほめたたえよ。その比類なき偉大さにふさわしく神をほめたたえよ。

150:3 角笛を吹き鳴らして神をほめたたえよ。琴と竪琴に合わせて神をほめたたえよ。

150:4 タンバリンと踊りをもって神をほめたたえよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて神をほめたたえよ。

150:5 音の高いシンバルで神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで神をほめたたえよ。

150:6 息のあるものはみな【主】をほめたたえよ。ハレルヤ。

 

説教要旨(元旦礼拝))

2022年元旦を迎えました。ここ数年元旦礼拝では詩篇146篇からの「ハレルヤ詩篇」を一篇ずつ見ております。詩篇150篇はハレルヤ詩篇の最後であり、また詩篇全体の最後です。「ハレルヤ」とは「主をほめたたえよ」との意味です。この詩篇は「ほめたたえよ(ハレル)」が繰り返され、「ハレルヤ(v1、v6)」と合わせると13度も出てきます。他のハレルヤ詩篇と比べても「ほめたたえよ」の繰り返しが際立っています。まさに詩篇150篇は「頌栄」の歌です。

 

1節は賛美の場所が言われています。「神の聖所(v1)」とは「神殿」のことです。「御力の大空で(v1)」とは「天の聖所」のことです。148:2では、天の御使いに向かって主をほめたたえよとしています。地において天において神をほめたたえよと告げているのです。私たちはこの年も主日毎に主なる神に名を呼ばれ集められ主をほめたたえます。天でなされている礼拝と一つとなって主をほめたたえます。そして、やがて救いの完成において、天と地が一つとなって主への賛美が捧げられるのです。2節は賛美の理由です。「大能のみわざ(v2)」とは、神の創造と救いの御業を表しています。神はこの世界を創造し私たち一人ひとりを造られ生かしておられます。神は神に背き自己本位に生き自らの罪の故に永遠の死に向かっていた私たちを愛し、私たちの身代わりに御子イエス・キリストを十字架に架け裁かれ、私たちを赦してくださいました。神はイエス・キリストにより罪の支配から解放し、聖霊により絶えず聖め続けてくださっておられます。「その比類なき偉大さにふさわしく神をほめたたえよ(v2)」神のご性質が言われています。神ご自身の栄光の故に神をほめたたえます。3節~5節は、様々な楽器で神をほめたたえよとしています。「角笛(v3)」は祭司が吹き、「琴(v3)」「竪琴(v3)」「シンバル(v5)」はレビ人が奏しました。「タンバリン(v4)」「踊り(v4)」は女性たちの役割で、「弦(v4)」「笛(v4)」は一般の民が演奏しました。祭司、レビ人、女性、神の民すべてが神を賛美しました。そして神の民イスラエルに留まらず「息のあるものはみな主をほめたたえよ(v6)」すべての人々、すべての動物も含め(148:10)、主をほめたたえよとしております。

 

詩篇の最後、この詩篇150篇は、まさに頌栄です。詩篇の150の歌の一つひとつには、人間のありとあらゆる感情が表れています。喜び、感謝、嘆き、怒り、落胆、迷い、罪の告白があります。しかし、その最後は神への真っすぐな頌栄です。新しい一年も喜び、感謝があるでしょう。恐れ、嘆きがあるでしょう。しかし、神は、その私たちを自分への関心から神へと思いを向かわせ、神への賛美へと導いてくださるのです。嘆いてはならないということではありません。主の前に嘆き、苦しみを吐露します。でも、主は自分のことに終始するところから、主の栄光への関心へと向かわせ、主への賛美、頌栄を与えてくださるのです。最終的に頌栄のみとなるのは救いの完成においてです。(ヨハネの黙示録5:11~13)神はただただ主を賛美する救いの完成に向かって私たちを導かれます。私たちは明日が見えません。でも、確かなことがあります。神が私たちを神が賛美される形で必ずや守りお導きくださることです。(ローマ8:28)

 

2002年取手聖書教会の元旦礼拝で派遣式が行われ、本日丸20年が経ちました。多くの喜び、溢れるばかりの感謝がありました。嘆き、苦しみがありました。この年も喜び、感謝、痛み、恐れの中を通らされることでしょう。しかし、主は私たちを御手の中で救いの完成、主への全き頌栄に向かって守り導いてくださいます。一つひとつ道をご用意くださいます。この一年もともにあって救いの完成へと導いてくださる主、すべてのことを合い働かせて神への全き頌栄へと導いてくださる主に信頼し、主なる神を心から称えたいと願います。「主をほめたたえよ。ハレルヤ。(v6)」