聖書メッセージ『糧の愛』(創世記1:29~30)

聖書箇所 創世記1:29~30

1:29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。

1:30 また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。

 

説教要旨

神は人に家庭の交わりを土台とし喜びの交わりを増え広げ、協力して地を正しく治める使命を与えられました。(v28)続いて神はその使命をなすにあたり、ご自身が創造した草や実を結ぶ果樹(v11~v12)を人に食物として与えると仰せられました。(v29)人は地を耕して食物を得たのではなく、神が備えられた植物や果樹を食しました。食物は本来神が与えられた恵みでした。次第に人は自ら地を耕し収穫した物を食すようになっていきました。しかし、それらも元を質せば神が用意されたエデンの園を耕し得ることができた物だったわけですから、神の恵みでした。それは今も変わりありません。私たちはお金を支払い食物を得ていますが、太陽も水も地も神が造られ備えられた恵みであり、野菜も果物も肉も魚も元は人が無償で手に入れたものです。神が提供してくださったものです。また、食物は人間の肉体的必要のためだけではありませんでした。「地の全面にある、…すべての草と、…実のあるすべての木(v29)」と「すべて」が繰り返されています。多くの種類がありました。それは人間の楽しみのためでもあったのです。(詩篇104:14~15)食物は神の人間に対する肉体的そして精神的恵みです。

 

神が恵みとして食物を与えられたのは、人間だけではなく、動物もでした。(v30)「すべての(v30)」が繰り返されています。神はあらゆる種類の動物に食物を与えられ、また一羽一羽の鳥や一匹一匹の動物に食物を与えられたことを示していました。主イエス・キリストが仰せられているように一羽の雀さえも神の御手の中にあり神に覚えられているのです。(マタイ10:29)神はアダムとエバにご自身があらゆる種類の動物一匹一匹に食物を与えられたことを「見よ(v29)」と仰せられたのです。アダムとエバは神が一羽の雀を養っておられることを目で見、覚えることになったでしょう。そして、動物に対する神の養いの恵みを見つつ、自分たちへの神の養いの恵みを信頼したことでしょう。主イエス・キリストが山上の説教で糧のことで心配する弟子たちに語られたことと重なります。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。(マタイ6:26)」そして、食物に対するこの神のご配慮は人間の堕落後も変わりありませんでした。いいえ、深められていきました。(創世記9:3)

 

神は私たちの糧を心配され恵みの糧を備えてくださいます。私たちは自らの体調や明日の経済的なこと、自らのことだけではなく家族の体調や明日の経済的なことで心配や不安を覚えます。しかし、その私たちに神は「見よ。わたしは、…あなたがたに与える(v29)」と仰せくださっておられます。勿論私たちは委ねられた働きをなして参ります。聖書は怠惰を良しとしていません。雀も餌を探しにいきました。また私たちは健康に十分気をつけていきます。でも、私たちの思いと考えと歩みの土台において、神が私たちの体と食物のことを心配し、私たちに必要な喜びの糧を備えてくださるとの信頼に立たせていただきたいと願います。私たちのこれまでの歩みはどのようなものだったでしょうか。確かに自分が労苦して働きをなしてきました。人間関係や評価の厳しさの中で仕事をなしてきました。健康面に気遣ってきました。しかし、静まって一つひとつ歩みを振り返る時に、私たちの糧と体における神の守り、神の愛を覚えるのではないでしょうか。

 

「少なくとも一日一回、いや多ければ多いほどよいが、私たちの時間、健康、存在自体が神の御手の中にあることを思い起こすことは有益である。(ロイドジョンズ)」天の父なる神の恵みに養われて生かされているのです。神の糧の愛を心より感謝します。