聖書メッセージ『救い主の系図』(マタイ1:1)

聖書箇所 マタイ1:1

1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。

 

説教要旨

クランツに蝋燭が灯り、クリスマスを待ち望む待降節(アドベント(到来))を迎えました。待降節礼拝とクリスマス礼拝はマタイ福音書の御言葉に聴いていきます。マタイ福音書はイエス・キリストの十二弟子の一人マタイによってユダヤ人宛てに記されました。「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図(v1)」これはイエス・キリストの系図です。(v1~v16)この系図はイエス・キリストがアブラハムの子孫、ダビデの子孫であることを示し、大きく三つに分かれています。v2~v6前半がアブラハムからダビデ王までの系図、v6後半~v11がダビデ王からバビロニア捕囚に至るまでの系図、v12~v16がバビロニア捕囚からヨセフまでの系図です。「アブラハム(v1)」は「イスラエルの民の父」であり、神から「わたしはあなたとあなたの子孫の神となる」と祝福され、また「地のすべての部族は、あなたによって祝福される(創世記12:3)」と祝福の基となると約束されました。イエス・キリストはアブラハムの子孫であり、救いの祝福をもたらす子孫であることが示されています。「ダビデ(v1)」は、ダビデ王朝が永遠に続く、すなわちダビデの子孫から救い主が出ることが約束されました。イエスは救い主が出るダビデ王の子孫であることが示されています。「キリストと呼ばれるイエス(v16)」とありますが、マリアから生まれたイエスが聖書に約束された救い主、キリストであることが示されています。

 

この系図はイスラエルの民の神に背く歴史も示されています。「ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み(v3)」タマルはユダの息子の嫁です。ユダは息子の嫁と関係をもったのです。律法違反でした。「サルマがラハブによってボアズを生み(v5)」ラハブはカナン人で遊女でした。 「ボアズがルツによってオベデを生み(v5)」ルツは真の神を信頼する女性でしたが、民族的にはユダヤ人との交わりを持つことができないモアブ人でした。「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み(v6)」ダビデはウリヤの妻を奪い、罪を隠すためにウリヤを殺しました。ダビデ王の後にはソロモンを始め神への不信仰と悪に満ちた王の名に満ちています。神への不従順は続き、イスラエルの民は神の契約を破り、遂に神は裁きとしてイスラエルの民をバビロニア捕囚とされました。罪が親から子へと継がれているのです。「義人はいない。一人もいない。(ローマ1:10)」すべての者が罪人であることが示されています。

 

それでも神はご自身の民を捨てず、アブラハムと結ばれた「わたしはあなたとあなの子孫の神となる」との契約に誠実で救い主を与えてくださいました。「十四(v17)」という数字は、完全数を表す七の二倍で「全き完全」を表しています。神は全きご支配の中で値しないものに与えられる神の「恵み」と契約を守る神の「まこと(誠実)」をもって私たちを愛し救い主を与えてくださいました。クリスマスは神が神の愛に値しない私たちを愛してくださったことが現されました。私たちは神に忘れられてしまったように思える日々を送ること、長いトンネルの中を通らされることがあります。私たちはこの世において自らや家族が病を得ること、人との関係に痛むこと、務めの重さに不安や疲れを覚えることがあります。自らの不甲斐なさを覚えたり人の罪のゆえに傷ついたりすることがあります。しかし、神は決して私たちをお忘れになられていません。覚えておられます。愛してくださっておられます。ともにおられます。そして神の全き支配の中でイエス・キリストは二千年前この地に来てくださいましたが、神の全き支配の中でイエス・キリストは再び来てくださいます。主イエスが再臨され救いが完成したとき、私たちは一切の苦しみや罪との戦いから解放されます。神ご自身が私たちの涙を拭い取ってくださり、死も悲しみも苦しみもなく、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」との救いの完成を私たちに与えてくださいます。アドベントは主を待ち望む時です。