聖書メッセージ『主はあなたを送り』(Ⅰサムエル記25:32~35)

聖書箇所 Ⅰサムエル記25:32~35

25:32 ダビデはアビガイルに言った。「イスラエルの神、【主】がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。

25:33 あなたの判断がほめたたえられるように。また、あなたが、ほめたたえられるように。あなたは今日、私が人の血を流しに行き、私自身の手で復讐しようとするのをやめさせた。

25:34 イスラエルの神、【主】は生きておられる。主は私を引き止めて、あなたに害を加えさせなかった。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、きっと、明け方までにナバルには小童が一人も残らなかっただろう。」

25:35 ダビデはアビガイルの手から、彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、家へ上って行きなさい。見なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」

 

説教要旨

ダビデはサウル王の妬みと恐れから命を追われ逃亡中でした。その苦しみにおいて支えの一人であった指導者サムエルが死にました。(v1)さて、マオンにナバルという人物がおり、近くのカルメルで事業をしていて非常に裕福で多くの家畜を所有していました。ダビデと若者たちは、ナバルの羊飼いたちの働きを様々な敵から昼も夜も防壁となって守っていました。(v15、v16)羊の毛を刈る時期が来て、ダビデは当時の慣習に従い今まで番人としてナバルの羊飼いたちの働きを守ってきた報いとして食糧を得るためにナバルのところに十人の若者たちを送りました。しかし、ナバルは何も持たせずにダビデの若者たちを帰しました。ダビデは若者たちから報告を受けると、ナバルの非礼に怒り復讐し命を奪うために出掛けました。ナバルは非礼極まりない事をしました。でも、23章と24章のダビデの姿、特にペリシテ人の手から助けた同族のケイラの人々が裏切っても復讐しなかったダビデの姿とは異なります。確かに600人の食糧を得て行くことはリーダーとして大きな責任でした。しかし、30:26~31を見るとナバルから食糧を得られなくても様々な者たちがサウル王から逃亡していたダビデたちを支えていました。ダビデは怒りに満ち溢れています。ナバルの言葉に強く反応しております。サムエルを失ったことから来る恐れや不安がそうさせた部分があったのかもしれません。激しい怒りと復讐心をもってダビデはナバルの所に向かったのです。

 

さてナバルには聡明な妻アビガイルがおりました。ナバルの一人の若者は、アビガイルにダビデと若者たちが本当に自分たちを守ってくれたこと、それに対するナバルの非礼を告げました。彼女はその若者の言葉を聞き、即食糧を持ってダビデの所に向かいました。彼女は謝罪し、かつ主がダビデに与えられているご計画を語り、ナバルへの復讐が後の働きに妨げとならないようにと告げました。ダビデはそれを受けてはっとさせられ、主に立ち返ったのです。(v32~v34)ダビデは主がアビガイルを送られ自分を罪から守ってくださったと告白しました。(v32)

 

主が語られる方法は、23章にありましたように御言葉です。そして24章にありましたように聖霊のお働きです。そしてもう一つは人です。主は私たちに人を送り、人と会わせてくださって語られていくのです。私たちは人との出会いの中で人格と言葉に触れて自分を知っていきます。自分の今の心、自分の今の心の動きが見えていくのです。そういう主の恵み、主の働き、主の助言があるのです。考えてみますときにアビガイルも一人の若者からの言葉があったのです。(v14)主が送られたと言えるでしょう。一方ナバルはどうだったでしょうか。ダビデの十人の若者たちが来て神の祝福を祈りつつ丁寧に願い出てもその言葉に聞かなかったのです。Ⅰサムエル記は「お話しください。しもべは聞いております(3:10)」と少年サムエルの言葉で始まっており、サウル王の主に聴き従わず自分の思いに従って歩む姿が語られ、そしてダビデの主に伺い守られていく姿が語られています。主の語りかけに聴くということがⅠサムエル記の大切な一つの主題になっているでしょう。この25章はサムエルは亡くなったが(v1)、主はアビガイルを通して、即ち人との出会い、出来事においてもダビデに語り、働きかけてくださったことが示されているでしょう。生きたも主の語りかけ、働きが続いているのです。(28:3)

 

「日常の雑々とした暮らしの中で、じつはひんぱんに神からの招待状や案内状を受け取っている『一粒のたねから』(坂岡隆司)」摂理の主の恵みを覚えていたいと願います。「主は今日、あなたを送り(v32)」「あなたは今日、私が(v33)」「主は生きておられる(v34)」一日一日、一時一時主が与えてくださる出会いや交わりや出来事の中に主の御声や主の御思いを聴いていく者でありたいと願います。