金メダルでは…
競泳男子 100m 平泳ぎの世界記録保持者で、リオデジャネイロ五輪と東京五輪で連覇したアダム・ピーティー(英国)がインタビューでうつやアルコール問題に触れ、「金メダルでは問題は解決しなかった」と心の闇を明かしました。
「多くのアスリートは、けがを抱えたり、オフシーズンに入ったりすると、空白を埋めるためのアルコール問題と闘うことになる。僕は常にそうした状態だった」と。「自分が誰なのか、人生で何を求めるのかをじっくりと考え、金メダルを取りにいく」。来年のパリ五輪までに戦いに臨める精神状態を取り戻すよう努めていくとのことです。
(2023年6月8日東京新聞より抜粋)
この水を
聖書には次のような記事があります。イエス・キリストはある時サマリアの町を訪れ、井戸のかたわらに座っておられました。そこに一人のサマリア人女性がやって来ました。当時ユダヤ人男性がサマリア人女性に声をかけることはあり得ないことでしたが、イエス・キリストは彼女に「わたしに水を飲ませてください」と語りかけ、彼女との語らいが始まりました。
イエス・キリストは彼女に仰せられました。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
(ヨハネ4:13)」この女性は五人の人と結婚し、別れ、この時六人目の男性と同棲していました。
心の空洞
「この水」とは、この世が人の心に与えるものです。美味しい物を食べたり、楽しいところに出かけたり、映画を観たり、人と話したりということです。しかし、イエス・キリストは、それらは「また渇く」と、いったんは心を満たすが、また渇くと仰せられました。
彼女にとっての「この水」は「男性の愛」だったでしょう。男性の愛を求め、結婚し、しかし満たされず、また別の男性の愛を求めることを繰り返していたのです。
「人間の心にはどんなものも埋めることのできない大きな空洞がある。それを埋めることができるのは神だけだ。(パスカル)」
わたしが与える水を
イエス・キリストは彼女に仰せられました。「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。(ヨハネ4:14)」イエス・キリストは神に背く私たちの罪を赦し私たちに神との交わりである「永遠のいのち」を与えてくださいます。イエス・キリストはサマリアの一人の女性を訪ね語られたように、この私に「渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と切に呼びかけておられます。イエス・キリストのもとに来ると心の奥底が満ちるのです。
守谷聖書教会
牧師 鈴木洋宣