聖書メッセージ『感謝に生きる』(詩篇103:1~5)

聖書箇所  詩篇103:1~5

<ダビデによる。>

103:1 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。

103:2 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

103:3 主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし

103:4 あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ

103:5 あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。

 

説教要旨

本日から年間主題「クリスチャンの幸いに生きる」を覚えて「感謝に生きる」を見ていきます。詩篇103篇は「神への感謝と賛美の詩」です。詩の流れは、v1~v5は主の恵みへの詩人の個人的な感謝と賛美の歌、v6~v22は詩人の個人的な感謝と賛美から発展し重ね合わせてイスラエルの民に対する主の恵みが歌われ、感謝と賛美が促されています。詩人は自らに向かって主をほめたたえよと促しています。(v1~v2)主に感謝し主を賛美するよう詩人は自らの感情、意志、知性に向かって促しております。

 

v3~v5は主が詩人に良くしてくださった恵みが歌われています。第一は「罪の赦し」です。すべての罪を赦してくださったことです。神との関係における霊的病を癒し、神との交わりを失っている死そして永遠の死から贖い出してくださったことです。これはイスラエルの民に対しての主の恵みとも重なって歌われています。(v8~v14)神は神にに背き、神から離れ、神との交わりを失い、罪の支配の下にあった私たちを愛し、近親者のごとく代価を払い、私たちを罪から救ってくださったのです。その代価は神の御子イエス・キリストのいのちでした。詩人が感謝している恵みはそれだけではありません。「良いもので満ち足らせる(v4)」主は日々の糧、家庭や仕事における助けなどの恵みを与えてくださるのです。「あなたの若さは鷲のように新しくなる(v5)」主は新しい力をも与えてくださるのです。こちらもイスラエルの民に対する恵みと重ね合わせ歌われています。(v15~v18)人のもろさと人生のはかなさが歌われ、しかし神は主を恐れ主の御言葉に生きる民に良いもので満ち足らせてくださる恵みが歌われています。神は私たちの罪を赦してくださるだけではなく、小さな私たちでありますが、主を恐れる私たちに日ごとの糧、心身の守り、家庭や働きにおける助けの恵みを与え、この世にはない、人にはもたらすことができない力を与えてくださるのです。

 

その主の恵みに応じて、私たちがなすことは、ここで詩人が自分のたましいに語りかけけているように「主に感謝し、主を賛美すること」です。私たちの罪を赦し、私たちをご存知で必要と助けを備え、力を与えてくださった主に感謝して歩んでいきます。さて、この詩はただ主が与えてくださった罪の赦しや守りを経験しての感謝の歌なのでしょうか。詩人は自分に言い聞かせているように見えます。自分の罪の弱さがある。苦しみがある。今の状況は「良いもの」とは言えない。気落ちしている。その中で自らに向かって「わがたましいよ 主をほめたたえよ」と促しているようにも見えるのです。私たちは一つの出来事、人の言葉や態度で意気消沈し、明日を恐れることがあります。でも、詩人は、そういう自分に対して赦しと恵みに満ちた主を仰ぎ見ることを促しております。そして、詩人は主を賛美せよと民にも促しております。でも民に促して終わるのではなく、もう一度「わがたましいよ 主をほめたたえよ(v22)」と自分に語りかけて終わっています。感謝に生きるとは、主が与えてくださった罪の赦しの憐れみ、良くしてくださった日々の糧や御力の恵みを感謝して歩むことです。しかし、それだけではなく、今罪の戦いがある中で、苦しみや恐れがある中で、主は「私を赦しておられ、私の一生を良いもので満ち足らせ力を与えてくださる」と信頼していくことです。感謝は受けた恵みに対する感謝であり、賛美は苦しみや痛みの中で主に信頼し主をほめたたえることです。

 

「わたしを覚えて、これを行いなさい(ルカ22:19)」聖餐の恵みに与ります。私たちを愛し私たちの罪を担われ十字架で忍ばれ死なれ罪を赦してくださった主イエス、御恵みをもって導いてくださった主イエスを覚え感謝し聖餐を受けていきましょう。また、罪の戦いや痛みや明日への恐れがある中で主の聖餐に与り、罪の赦しの確信と主イエスへの信頼を新たにしていいただき主を賛美して歩み出して参りましょう。