聖書メッセージ『福音を受け入れた私たち』(使徒2:37~40)

聖書箇所  使徒2:37~40

2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。

 

説教要旨

本日は年間聖句使徒2:41~42の「受け入れた(v41)」をご一緒に見ていきます。ペテロの言葉を聞いた人々は「心を刺され(v37)」ました。「刺され(v37)」とは非常な激しさを示す言葉で、心をえぐられた、心がうずきもだえたのです。神が送られた救い主イエス・キリストを十字架にかけた罪、神の愛を受け入れなかった罪、神の御心にそぐわない数々の咎に心をえぐられました。罪を深く自覚しました。罪の自覚は救いの求めとなりました。神に赦されなければならない、赦してもらいたいとの思いとなりました。「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか(v37)」そのような思いとなるのは神の働き、聖霊の働きによります。ペテロは明確に告げました。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい(v38)」人が罪が赦され救われるためには「悔い改め」と「イエス・キリストへの信頼」この二つです。「悔い改める」とは「向きを変える」との言葉です。神に信頼せず、神に感謝することなく自分を中心として歩んできた心の方向を神に向きを変えることです。主であり救い主であるイエスを認めなかった在り方から方向転換することです。「悔い改めなさい」は一回的なこととして向きを変えよとの動詞の形となっております。自己を中心に生きてきた自分の生き方、考え方を神中心にこの時向きを変えることです。悔い改めの中心は行ないを改めることではありません。それは「悔い改めにふさわしい行い(使徒26:20)」「悔い改めにふさわしい実(ルカ3:3)」と言われます。「悔い改め」は、私たち自身を神に向きを変えることです。第二はイエス・キリストへの信頼です。「バプテスマ(v38)」は「水に浸す」との意味ですが、「イエス様、あなたは私の主、私の救い主です」と信頼し自分自身を主イエスに委ねることです。

 

その時に、人間に与えられるものは何でしょうか?「罪の赦し(v38)」です。神の愛を受け入れなかった罪、そして人を蔑んだり、妬んだり、怒ったり、恐れたりする咎が、イエス・キリストの贖いのゆえに神に赦されるのです。神は私たちの罪が緋のように赤くても雪のように白くなると約束されています。(イザヤ1:18)また「聖霊(v38)」が私たちの内に住んでくださいます。聖霊は私たちのすべての歩みを助けてくださいます。自分の真の姿に気づかせてくださいます。自分の正しさに固執していたのにふと自分の罪に気づかせられます。何かをなしたなさなかったという分かり易い罪理解から自分の罪の根深さに気づかせてくださいます。そして聖霊は私たちを助けて私たちが神の御心に従い歩んでいけるように慰めと力を与えてくださいます。聖霊は私たちを深くゆっくりと造り変えてくださるのです。この「罪の赦しと聖霊を受けること」は「私たちの神である主が召される人ならだれにでも(v39)」与えられるのです。

 

クリスチャンは自らの罪を自覚し、神に悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じ、イエス・キリストに結び合わされすべての罪が赦され、聖霊を受けております。神の約束ですから(v39)、私たちの歩みや信仰の状態によってイエス・キリストに結び合わされたことがなくなり罪が赦されたことが取り消しになったり、聖霊がどこかに行ってしまうということは決してありません。神は一度悔い改めイエス・キリストを信じた者を決して離すことはないのです。今信仰から離れているように見える人も神は決して離すことはないのです。確かな神の救いの約束です。そして救いを受ける悔い改めは一回なのですが、主イエスは救われた教会にクリスチャンに「悔い改め」を教えています。(ヨハネ黙示録2:5、3:19他)ルターは「私たちの全生涯は悔い改めの生涯である」と述べました。神に立ち返り神のものとされた者として日々新たに神に立ち返っていきます。日々新たにイエス・キリストに信頼していきます。日々新たに聖霊の助けをいただいていきます。深くゆっくりと造り変えられていくいのちの道へと導かれていくのです。