聖書メッセージ『いのちのみことば』(Ⅱテモテ書3:14~17)

聖書箇所  Ⅱテモテ書3:14~17

3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、

3:15 また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。

3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

3:17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。

 

説教要旨

本日から初代教会が専念していた四つのことを掘り下げて見ていきます。最初に出てくるものが「使徒たちの教え(使徒2:42)」です。教会において御言葉の最重要性が示されています。御言葉(聖書)とは何かをⅡテモテ書から見ます。パウロは、第二次伝道旅行でテモテと出会い、彼を伝道旅行に連れて行きました。その後、テモテはパウロの伝道旅行や一回目のローマ投獄にもついていきました。パウロは、63年頃、ローマ投獄から釈放され、その後アジアの地を回りました。アジアからマケドニアに行こうとするとき、テモテをエペソ教会に牧会者として残しました。パウロはマケドニア、アカヤの地で働きをなした後に、トロアスで捕らえられ、再びローマに投獄されました。Ⅰテモテ書とテトス書は、再度捕らえられる前に記し、このⅡテモテ書は、再度捕らえられローマの獄中で死を強く意識しつつエペソ教会で働きをなしていたテモテに記しました。パウロは67年頃に殉教したと考えられています。テモテは、この時、外からは迫害があり、教会内には誤った教えが入り、御言葉を宣べ伝え教えていくことを恐れ、弱っていたように見受けられます。偽教師たちは誤った教えを語り、敬虔に生きようとはせず、ますます悪に落ちていました。(v13)そういう中でパウロは「けれどもあなたは学んで確信したところに留まっていなさい(v14)」とイエスこそ救い主であるとの信頼と御言葉を正しく宣べ伝え教え敬虔に生きることに留まり続けるよう告げました。留まる理由として「あなたは自分がだれから学んだかを知っており(v14)」と聖書を教えてくれた人々のことを覚えさせています。テモテの祖母ロイスや母ユニケでしょう。(1:5)またパウロ自身でしょう。さらに彼らの教えの源である聖書そのもののゆえに留まるよう告げました。(v15~v16)「聖書はすべて神の霊感によるもの(v16)」です。聖書は神が発せられた言葉、神が語られた言葉です。「聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったもの(Ⅱペテロ1:21)」です。確かに人間が記しました。でも、神、聖霊が聖書記者を誤りなく神の言葉を記すことができるよう守られながら記された誤りなき神の言葉です。

 

聖書の働きを告げました。聖書は人間にイエス・キリストに対する信仰を通して救いへ導き入れる知恵を与えることができるのです。(v15)神の子どと生まれさせるのです。また聖書は生まれた神の子どもを整え育んでいきます。(v16)「教えと戒め(v16)」は「教理のこと」、「矯正と義の訓練(v16)」は「歩みのこと」です。「神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となる(v17)」ために有益であるのです。神との正しい関係、神への畏れ、神への信頼において私たちを整えてくださるのです。人に対する愛、忍耐、柔和において私たちを整えてくださるのです。(Ⅰテモテ6:11)「十分に整えられた者となる(v17)」の「なる」は、そのように必ずなっていくとのパウロの強い思いが込められています。

 

パウロは、戦いの中で弱っていたテモテに、聖書は神の言葉で、あなたを救いの中に導き入れた言葉、あなたを育むことができる言葉と告げました。即ち、机上の言葉ではなく、いのちのみことばであるのです。そして、この神のことばを時が良くても悪くても忍耐の限りを尽くし宣べ伝え教えることを命じました。(4:1~2)これが死を強く意識して愛するテモテに語ったパウロの最後の言葉でした。そしてそのパウロ自身を支えていたのがいのちのみことばでした。そして初代教会が最も大切に専念していたのが御言葉でした。それは御言葉こそが自分たちを救ったいのちのみことばであり、自分たちを十分に整えられたものとするいのちのみことばであったからです。私たちも困難な時代の中で歩んでいます。神から離れさせようとする力、人への愛に生きる歩みから離れさせようとする力が絶えず働いています。この時代の中にあって私たちを救った、そして十分整えられた者とする御言葉にますます専念していく教会でありたいと願います。