聖書メッセージ

茨城県守谷市にある、守谷聖書教会の日曜日の礼拝のメッセージ(礼拝説教要旨)を掲載しています。

聖書のことばがそれぞれの助けとなりますように。


聖書メッセージ『務めに生きる』(Ⅱテサロニケ3:6~12)

聖書箇所 Ⅱテサロニケ3:6~12              

3:6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。

3:7 どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、

3:8 人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。

3:9 それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。

3:10 私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。

3:11 ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。

3:12 こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。

 

説教要旨

この箇所は、手紙の主題の部分です。パウロは、6節~15節で「怠惰な者たちへの戒め」と「その怠惰な者たちとともに生きるテサロニケ教会の人々への教え」を記しました。今日は前者を見ていきます。パウロは、自分たちの模範を述べました。(v7~9)「権利がなかったからではなく(v9)」と、パウロは、福音を伝え、神の言葉を教えることにより伝道者が糧を得ていく権利があることを承知していました。でも、パウロは、生まれたばかりのテサロニケ教会に負担をかけまいと、昼も夜も苦闘しながら働き、自ら糧を得て、福音を伝え、神の言葉を教えたのでした。この姿でした。さらに、パウロは、自分たちがテサロニケの地にいた時に教えたことを思い起こさせました。(v10)にも関わらず、兄弟愛を逆手に取ってパンをただで得、怠惰な歩みをしていた者たちがあったのです。(v11)パウロは、主イエスにあって命じました。「静かに仕事をし、自分で得たパンで食べなさい。(v12)」私たちの歩みにおいても、神への信仰(信頼)が甘えや怠惰に向かわせてしまう危険性があるように思います。神から本来私たちに託されている部分に関し、自分で労苦せず、「神様が何とかして下さる」と、怠惰に走ってしまうことがあるように感じます。しかし、神様に信頼して生きるとは、そうではなく、神様に信頼しながら、自らの務めを誠実になして歩んでいくのです。私たちは、神の一方的な恵み、イエス・キリストの十字架の死と復活により救いに与らせていただきました。救いが神の一方的な恵みであるならば、行ないが曇ってしまうのではありません。神の測り知れない救いの恵みに対する感謝は、怠惰を生み出さず、神の御心に生きる歩みへと導いていくのです。神の創造の御業と目的を覚えたいのです。神は、私たち人間を創造され、神の代理人として、この地を治めるように使命を与えて下さいました。(創世記1:27、28)神は、エデンの園に人を置かれ、そこを耕させ、守らせ、神様の栄光を現わすようにされました。(創世記2:15)労働は、人間が神に背く前に、神から委ねられたものです。しかし、罪を犯した後に、地が呪われ、労働が人間にとって苦しみとなりました。(創世記3:17~19)しかし、仕事自体は、元々人間が堕落する前からあったのです。そして、仕事は、根源的には、単に生活の糧を得るためのものではなく、自己実現や自分の栄誉のためのものでもなく、この世界を正しく治め、神様の栄光を現わすためのものです。そして、それは、いわゆる「労働」「仕事」のことだけに限定されません。私たちの一つひとつの歩みです。「良いわざと言葉(Ⅱテサロニケ2:17)」とも言われています。イエス・キリストが再びこの地に来られる時には、この罪に歪めらた世界が全く新しくなると言われております。でも、それは、決して今の私たちのなす一つひとつの業が無駄となるのではなく、救いの完成にあたって聖められ、用いられていくのです。(Ⅰコリント15:58参照)その務めに生きていくのは、ただ自分の力でなしていくのではなく、神に信頼してなしていくのです。(v4、v5)具体的には、御言葉の誤った理解から怠惰が生まれましたが、神の御言葉に正しく聴きながら、そして、パウロはここで祈っていますが(v5)、祈りながら、すなわち主なる神との交わりを持ちながら務めをなしていくのです。

 

神は、私たちを罪から贖い、それぞれに神の栄光を現わしていく務めを与えておられます。同じことの繰り返しの日々であるでしょう。報われないこともあるでしょう。願ったように進んでいかないこともあるでしょう。でも、私たちは、日々の歩みと働きの中で、今日、主に信頼し、御言葉に正しく聴き祈りながら、主の御力によって神様から託された務めを静かに誠実になし続けて参りましょう。天の御国において、「良くやった。良い忠実なしもべだ。(マタイ25:21)」との主からの御声をかけていただけることを待ち望んで歩んで参りましょう。



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