イエス・キリストとの出会い

 クリスチャンにも教会に初めて来た日やイエス・キリストとの出会いのきっかけがあります。いつどんなふうにイエス・キリストを信じることになったのか、ご紹介します。

 

(教会の機関紙チャペルタイムスに掲載された、教会員の「イエス・キリストとの出会い」をまとめています。

教会にたまに行くことから教会とのつながり、意味を考えるようになりました。子供だった私には難しいこともありましたが、私にとって礼拝中に歌う讃美歌が心安らぐ時間でした。

年齢を重ねていくと、讃美歌の歌詞を噛みしめながら歌うことで、神様の側にいられることへの感謝の気持ちでいっぱいになります。(つくば市みどりの在住・女性) 

( No.73 2025年秋号)

イエス・キリストとの出会いは、ミッションスクールに入学した中学校の時です。元気で希望に満ちた頃、信仰とは何かなんて考えてもいない時でした。

結婚して義母がクリスチャンだったことが本当の出会いだったのかもしれません。正直で謙虚でつつましく生きる姿に尊敬の念を抱きました。

ありのままを受け入れてくれる神を信じようという気持ちになり 10 年前に受洗しました。夫と共に教会に通い、祈りをもって心を整える大切な時間となっています。(久保ケ丘在住・女性)     

( No.73 2025年秋号)

東京で学生生活を始めた数年後、兄が米国での 3 年間の農業研修中にクリスチャンになったことを知り、米国の教会の牧師や宣教師による家庭集会に出席することになり、最初の暗証聖句が

「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)でした。

 

生来内気な性格でしたが、集会でのメッセージ等を通して次第に変わり、こんな私でも神様は愛してくださるのかと受洗に至りました。その後導かれて守谷聖書教会で愛する皆様と共に歩むことを許されていることに感謝しています。(松ケ丘在住・男性)

(No.73 2025年秋号

私は、小学高学年頃、人との関わりの中で、自分の罪の問題にぶつかりました。具体的には自分の心に起きてくる思いでした。自分は何をしてもどこか悪いことをしているとの思いに縛られていた期間がありました。そんな自分の思いを、あるクリスチャンの方に打ち明けた所、
そういうあなたのために、イエスさまは十字架で命を投げ出して下さった、創造主なる神様は人間に自由を与え、自ら神さまの方へくることを求めているのだよ
との言葉に心打たれ、今現在改めて感じさせられることは神様の側の約束は完全であるということです。(50代 男性)

( No.72 2025年夏号)

「祈りの生活をしたい。信仰が欲しい。」と切実に感じた時、「神様、私に信仰を下さい。」と祈りました。すると、その瞬間、胸に強く暖かい光が入ってくるのを感じ、全身が光に包まれました。世界が神様の愛で満ちているのを感じ、美しくなりました。難しい理屈にしか思えなかった十字架の 贖いと救いが、私の為であったのだと実感し、感謝で満たされました。

子供の頃から、いつも主イエスが一緒にいて私を導き、助けていて下さったのだ、ということにも気がつきました。「これからは、神様の愛に応えていく生活をしたい」と思い受洗しました。(60代 女性)

( No.72 2025年夏号)

教会とは縁遠い生活でしたが職場の先輩から教会の集会案内を頂き、年に数回出かけていました。仕事に埋没した日々の中で7年目、仕事の内容が変わって日曜に毎週通うことができるようになり、牧師との学びを開始し洗礼を受けることができました。

洗礼を受けて最初の奉仕は教会案内のチラシ配布でした。日々の生活では大変なこともありますが常に守って下さり導いていて下さる神様に奉仕をすることで感謝を表しています。(70代 女性)

(No.72 2025年夏号)

教会に導かれたのは、40代のはじめに病気になったことからです。

生活が一変し、心身ともに苦しむなか、人生の先達の書物を参考にしても何か足りない、何か違うという思いでした。聖書には驚きと安らぎがありました。

イエス様は「忙しいから後で」と言われることなく、いつでも私が求めるだけ伴に語らってくださいます。(60代 女性)

( No.71 2025年春号)

教会の幼稚園を卒園してから、中学校まで教会学校に通った。CSの先生方は私のすべてを受け止めて、認めてくださったので、自己肯定感を持って成長できたような気がしている。

30年後、守谷聖書教会に導かれて、イエス・キリストの愛によって生かされてきたことを改めて学び、感謝の 日々を生きている。(60代 女性)

 (No.71 2025年春号)

 私が教会に足を運んだのは、東日本大震災後の2012年でした。多くの方が理由もなく亡くなる現実になぜこんな不条理なことが起こるのかと思い、教会に答えを求めて通い始めました。

答えはいまだに見つかりませんが、人は神により創られ、神から恵みを受け、そのことに感謝しつつ日々生きる 大切さを教えられました。(70代 男性)

( No.71 2025年春号)

 20年程前、趣味のサークルで「どんな本を読んでるの?」「三浦綾子の作品」。こんな会話から 聖書に導かれました。2012年のある日曜日の朝、ふと今日なら行けると思い、自転車をこいで初めての礼拝に臨みました。そして今があります。神様のお導きに感謝です。 (70代 女性)

 チャペルタイムス No.69(2024年秋号)

定年退職を1年後に控えたある日、何か虚しさを感じそれの人生を振り返っていた。その時、 妻が読みかけの本の「振り返ればそこにイエス・キリスト」の文字が目に入り、その言葉に導かれ 妻が通っていた守谷聖書教会の礼拝に通い始め早20年近くなります。 (70代 男性)

 (No.69 2024年秋号)

30代半ばの頃、誘われて初めて教会の門を潜りました。何回か礼拝に出席するうちに大自然も自分も神の被造物であることを知り、イエス・キリストの救いを知るようになり、その年のクリスマスに 洗礼を受けました。それから40数年、恵みのうちに生かされています。 (70代 男性)

   (No.69  2024年秋号)

私は親元を離れて大学生活を送ると同時に 聖書の言葉に触れる機会が段々と増えていきました。環境が変化し寂しさを覚えました。しかし聖書を 通してイエス様が共にいてくださる事を知り、信仰告白に導かれました。(40代 男性)

(No.68  2024年夏号)

 放蕩息子の様な暮らしを続けていた私が初めて教 会に足を運んだのは約13年前のこと。その後も時に は失敗をして悩んだりもしておりますが、変わらぬ 愛を知ることができ、常に希望を失わずに日々を歩 めていると感じます。(30代 男性)

  (No.68  2024年夏号)

私が教会に通い出したのはクリスチャンの友人 に日曜礼拝へ誘われたのがきっかけでした。教会の中に響きわたる讃美歌がとても心地良く、聖書の話を聴く時間が一週間の疲れを癒す大切な時間となりました。(40代 女性)

 (No.68  2024年夏号)