家族のために祈るのをやめる?!

11月の子育ての集いを21日に行いました。11月は祝日があったり県民の日があったり(茨城は11月13日が県民の日で学校などおやすみです)日程が少し遅くなりましたが5人の参加者で行なうことができました。今月のテキストは5章の『家族のために祈るのをやめること』でした。

 

テキストの冒頭にこうありました。家族のために祈るのをやめるなどと言うと、奇妙なことだと思われるかもしれない。私が言いたいのは次のような意味である。私が今までのように祈るのをやめたとたんに、大きな出来事が起きた。〜私は家族のひとりひとりを、新しい光の中で見ることができるようになったのだ。〜欠点や短縮があるままで、私は彼らを愛することができるようになった。〜要するに私自身の態度に変化が起こったのである。(〜一部抜粋)

 

集まってくださっているお母さん方はノンクリスチャンの方が多いなかで祈ることが分かち合えるだろうかと思いもありましたが、夫や子どもたちへの思い、他者への思いは共通するものがあるように感じました。私たちは家族を愛するとき、ありのままの姿を愛する受け止めるということが難しいことがあります。いつしか自分の願うことばかりを相手に(子どもや夫に)押し付けていたら家族のなかはぎくしゃくしてくるでしょう。

 

神様は私をありのままの姿で愛してくださっています。また私以外の人のことも同じようにありのままを愛してくださっていることを忘れずにいたいと思います。テキストのなかでドレッシャーはこんなふうに結んでいます。神さまの愛と赦しの中に自分自身を置き、また自分のありのままの姿を素直に認められるようになってはじめて、他人の欠点を広い心で受け入れることができるようになるのである。〜他人を良くするのは、私がすることではない。それは神さまのなさることである。私がなすべきことは、他の人を幸せにすることである。(〜一部抜粋)

私自身は分かち合いのなかで最近礼拝で紹介された一つの詩を思い出していました。

 

 もし私の隣人が 私より強いならば、

  私はその人を怖れる。

 もしその人が 私より弱ければ、

  私はその人を軽蔑する。

 もし私とその人が 同じであれば、

  私は詭計に訴える。 

 私がどのような動機をもっていたら、 

  その人に服従することができ、

 私にどのような理由があったら、

その人を愛することができるだろうか。  

 

      ジャン・ド・ルージュモン

 P・トルニエ『強い人と弱い人』より

 

私自身をどこに置くのか、人の前にか、神さまの前にか。大切なことにまた気が付けたひとときでした。

 

次回は12月11日(火)朝10時30分から子育ての集いのクリスマス会を行ないます。今年も前半はシュトーレン作りをして、後半は軽食を囲んでのひとときになります🌱

子育ての集いは、子育て中の方どなたでも大歓迎です。参加してみたい方は開催時に直接教会にお越しいただくか、ぜひメールを教会宛にお送りください♪