聖書メッセージ『赦しの喜び』(ローマ3:23~24)

聖書箇所 ローマ3:23~24

3:23 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、

3:24 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

 

説教要旨

クリスチャンの幸いに生きるとは「喜び」「祈り」「感謝」の歩みです。(Ⅰテサロニケ5:16~18)これからそれらを一つひとつ見ていきます。そして本日からはその中でもローマ人への手紙の御言葉に何度か聴いていき、与えられた「救いの喜び」を見ていきましょう。「神の義が示されました(v21)」「神の義」とは二重の意味で使われています。一つは神ご自身の正しさというご性質です。もう一つは神がご自身に背いた私たちと関係を正しいものとすることです。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず(v23)」例外なくすべての人が神に背き罪を犯し、思いと言葉と行為において神の律法を守ることができません。すべての人が罪のゆえに神との交わりを失っています。

 

しかし、その罪人である人間が「義と認められる」のです。「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです(v24)」「価なしに」「神の恵みにより」神がご自身に背く私たちと関係を正しいものとする「神の義」は、神の一方的な恵みです。神は私たちの行いや従順によって私たちへの愛が引き出され、私たちを愛してくださったのでは決してありません。神の愛を引き出すようなものが全くない、いいえ、神に敵対し神に裁かれるべき私たちを神は一方的に愛してくださったのです。それではもう一つの神の義である神ご自身の正しさが曲げられてしまうことになるのではないでしょうか。「キリスト・イエスによる贖いを通して(贖いのゆえに)(v24)」「贖い(v24)」とは「身代わりに償うこと」です。御子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で神の裁きを受け、苦しみ悶えられ、忍ばれ、神に捨てられ、私たちの罪の償いを成し遂げてくださったのです。私たちの罪の赦しを獲得してくださったのです。私たちの罪に対する神の御怒りが宥められたのです。

 

そのイエス・キリストの贖いのゆえに罪を犯し神との交わりを失っていた私たちが義と認められるのです。罪の赦しにおいて私たちの側で付け加えることは何一つありません。イエス・キリストが十字架でなしてくださった罪の赦しは完全です。そのイエス・キリストが成し遂げ獲得してくださった罪の赦しを自分のものとして受け取りたいという手を差し出す信仰を通して、クリスチャンは、あなたは、義と認められたのです。神の御前に全く罪赦されたのです。すべての罪が赦され、神に受け入れられ、神はご自身との関係を永遠に正しいものとしてくださったのです。罪がなくなったわけではありません。罪の性質は残っています。罪に今も悩まされています。確かにその通りです。でも、そういった私たちの今悩んでいる罪も、行ない悔い自分を責めている失敗も、イエス・キリストは十字架でそのすべてを背負い、身代わりに神の裁きを受けてくださったのです。ですから、完全に赦されているのです。何と驚くべき赦しでしょうか。罪の赦しの確信は私たちの感覚ではありません。私たちの現在の状態ではありません。御言葉の約束にかかっています。「ああ、この私が罪赦され、神に受け入れられ、神との関係を永遠に正しいものとされているのだ!」と確信し、驚き、感謝し、喜びたいと願います。そして罪赦され、神に受け入れられているからこそ安心して大胆に神の前に今の自分の罪の戦いを、罪の失敗を、悩まされている罪の問題をそのまま持っていきましょう。何も隠さずに持っていきましょう。そのままをすべて持っていきましょう。(Ⅰヨハネ1:9)神はご自身の約束に誠実で、私たちとの関係を正しいものとしてくださった神の義に基づいて、その都度私たちを赦し、その都度私たちをきよめ、神との交わりを豊かに回復させ保たせてくださるのです。神は砕かれた魂を決して蔑まれません。

 

この後、聖餐の恵みに与ります。イエス・キリストの十字架の救いを心より感謝し、与えられた罪の赦しの確信をいただいていきましょう。