募る憂いと苛立ちを
今、募る憂いと苛立ちの中で
日々戦っておられる方がおられるかもしれません。
旧約聖書のサムエル記には“ハンナ”という女性が登場します。
ハンナは、エルカナと結婚していましたが、子どもがおりませんでした。
エルカナは、ハンナを愛していましたが、
当時の社会風習の中でペニンナという別の女性も妻として迎え、
ペニンナにはエルカナとの間に多くの子どもがいました。
ペニンナは、子どものことで言葉によってか態度によってかハンナをひどく苛立たせ、怒りをかき立てました。
夫のエルカナは、涙するハンナに「どうしてそんなに苦しむのか。私がいるではないか」と声をかけますが、
ハンナの心の痛みが消えることはありませんでした。
ハンナはどうしたでしょうか。
募る憂いと苛立ちを造り主なる神に心を注ぎ出して祈ったのです。
祈って、神から「子どもが与えられる」との約束を得たわけではありませんでしたが、
ハンナの顔はもはや以前のようではなくなりました。
神さまにお話しすること
「祈りとは、神さまにお話しすること」と聖書は教えています。
感謝や願い、それだけではなく愚痴や不満も…。心をそのまま神に注ぎ出すことです。
私たちは「やってられない」という気持ちを家族や友人に話すことで随分助かる時があります。
でも、自分の思いを十分に伝えられなかったり、
自分を守って真実を語れなかったり、
直ぐに言葉や答えが返ってきて一番深い部分において分かってもらえた気がせず
虚しさだけが残ったりということも多く経験するのではないでしょうか。
神の平安が心を
しかし、神さまが話し相手であれば、何の遠慮もいりません。
誰かに漏れる心配もありません。
美辞麗句を使う必要もありません。
うまく言葉にできなくても神はその思いを分かっていてくださると聖書は語ります。
あなたの造り主だからです。
そして、365 日 24 時間、いつでもどこででも話しかけてよいのです。
そして不思議です。
神に祈ると、ハンナの顔が以前のようではなくなったように、
状況が変わらずとも心が平安に覆われていくのです。
「理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます(聖書)」
親は我が子が「パパ、ママ」と最初に呼んでくれた時、
何にもまさる喜びを感じます。
天の父なる神は、あなたの呼びかけを待っておられます。
守谷聖書教会 鈴木洋宣
