空気読み、キャラ変える
朝日新聞より。小学6年生のミキさん。五人組 でいつもいっしょにいる。 夏休み前にグループは固定化した。クラスの中 に居場所ができたことは、安らぎだけど、いつも心 が穏やかなわけじゃない。 「この服、雑誌に載ってたよね」雑誌を読まない ミキさんはひとり輪に加われず、少し怖くなった。 「これ、よくなーい?」指さされた服は派 手過ぎるように思えたが、違うことを口に して場が盛り下がるのは避けたい。 五人組でも、二人きりの場面は作らない。 話が途切れると焦るから。沈黙から逃れる ため、急回転でネタを探すのも疲れる。ふ だん口にするのは、言いたいことの 50%くらい。 ムシャクシャした思いを抱える夜は紙切れに鉛 筆を走らせる。思いの丈を書き出したら、破って捨 てる。「そうすると、嫌なことを忘れた気になれる」 自分がいつもいます。 こんな“私”はどうしたらよいのでしょうか。
大人になっても
ミキさんの歩みは、特別なことではなく、誰もが 葛藤していることではないでしょうか。 10 代の頃は特にそのようなことで悩むものだ と思いますが、大人になったらそんな悩みは無く なるかと言ったらそんなことはないでしょう。 少なくとも私はもう少しで50歳になりますが、 妻や家族の中にいる時はそんな風には感じません が、他のどんな集まりでも、そわそわしてしまう自分がいつもいます。こんな“私”はどうしたらよいのでしょうか。
喜びの“私”を
聖書を読まれたことはありますか。聖書には「人がひとりでいるのは良くない」という言葉があり、人は人と交わる者として造られていると語っています。ですから人との関係を築こうとすることはとても大切なことです。でも、聖書は同時に人はただ人との関係
だけで生きるのではなく、人がまず交わりを持つ相手は自分を造られた神であると
語っています。神は私の造り主であるので、私のすべてを知っておられ、心の奥の奥まで分かってくださるのです。その神に立ち返り、私の心を素直にお話しするときに、私の心に平安が与えられていきます。そして人への恐れが一つ取り除かれ、勇気が一歩与えれ、思いがけない喜びの歩みへと導かれていくのです。こうして神は神の作品として喜びの“私”を造り上げてくださいます。
「いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを取り去りたもう。こころの嘆きを包まず
述べて、などかは下さぬ、負える重荷を(讃美歌 312 番)」
守谷聖書教会 牧師 鈴木洋宣
イエス・キリストとの出会い <その4>
神は愛です。(聖書) クリスチャンにも教会に初めて来た日やイエス・ キリストとの出会いのきっかけがあります。いつ どんなふうにイエス・キリストを信じることになったのか、ご紹介します。
私は、小学高学年頃、人との関わりの中で、自分の罪の問題にぶつかりました。具体的には自 分の心に起きてくる思いでした。自分は何をしてもどこか悪いことをしているとの思いに縛られ ていた期間がありました。そんな自分の思いを、あるクリスチャンの方に打ち明けた所、そうい うあなたのために、イエスさまは十字架で命を投げ出して下さった、創造主なる神様は人間に自 由を与え、自ら神さまの方へくることを求めているのだよとの言葉に心打たれ、今現在改めて感 じさせられることは神様の側の約束は完全であるということです。(50代 男性)
「祈りの生活をしたい。信仰が欲しい。」と切実に感じた時、「神様、私に信仰を下さい。」と 祈りました。すると、その瞬間、胸に強く暖かい光が入ってくるのを感じ、全身が光に包まれまし た。世界が神様の愛で満ちているのを感じ、美しくなりました。難しい理屈にしか思えなかった十 字架の 贖 いと救いが、私の為であったのだと実感し、感謝で満たされました。子供の頃から、いつ も主イエスが一緒にいて私を導き、助けていて下さったのだ、ということにも気がつきました。 「これからは、神様の愛に応えていく生活をしたい」と思い受洗しました。(60代 女性)
教会とは縁遠い生活でしたが職場の先輩から教会の集会案内を頂き、年に数回出かけていまし た。仕事に埋没した日々の中で7年目、仕事の内容が変わって日曜に毎週通うことができるよう になり、牧師との学びを開始し洗礼を受けることができました。洗礼を受けて最初の奉仕は教会 案内のチラシ配布でした。日々の生活では大変なこともありますが常に守って下さり導いていて 下さる神様に奉仕をすることで感謝を表しています。(70代 女性)
<キリスト教放送のご案内>IESU/KIRISUTO
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●世の光いきいきタイムラジオ茨城放送:日曜日 7:10~
