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一番の願い
自分の一番深いところでの願いは、何でしょうか。少し立ち止まって、胸に手を置いて考えていただけませんか。
「認められたい」「自分を分かってもらいたい」「友だちがほしい」…。
様々な願いがあります。
すべての願いの中心にあるものは「愛されたい」ではないでしょうか。
おはよう
ある大学教師は授業の出席表を名を呼び「おはよう」と言いながら一人ひとりに渡していました。
その中の一人に、一年間帽子を深くかぶり、耳にはイヤホンを差し込み、教師を直視せず、出席表をむしり取る学生がいました。前期後期、20回以上続きました。
年度末、試験が終わって解答用紙を回収しました。彼の答案もありました。そこそこできていたのですが、それよりも解答の最後に小さな字でこう書き添えてあったのです。
「先生、毎回笑顔で挨拶してくれてありがとう」
その大学教師はこの時から決めました。どんなに態度が悪くても、心をこめて挨拶しよう、と。
「おはよう」と言っても「おはよう」と言わない人、「おはよう」の言葉を忘れた人こそ、「おはよう」を必要としているのだ、と。
愛するとは?
愛するとは「相手を建て上げること」と、聖書は告げます。
心に留め、幸せを願い、益をなし、建て上げていくことです。
しかも、相手の態度に左右されないことです。
神の作品
聖書は、私、あなたは神の作品だと告げます。
神は私を造られ愛しておられます。
私を大切に思われ、真に喜んで生きることを願われ、善きものを与え、神の作品として造り上げてくださいます。
私たちが神の作品として造り上げられていくことを邪魔しているものがあります。
罪です。
罪とは神を認めたくない心です。
その罪ある私を神は愛し、独り子イエス・キリストをこの地に遣わし身代わりに十字架にかけ私の罪を処分し、私を罪の状態から救い出してくださるのです。
そして私が神とともに歩んでいくときに、神は私の弱さもこんなことがないほうが良いと思っている苦しみもすべてを合い働かせて神の作品として私を造り上げてくださるのです。
もちろん弱さや苦しみの中で直ぐにはそう思えないのですが…。
私の一番深いところに向かって神は語られています。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(聖書)」
守谷聖書教会 牧師 鈴木洋宣
教会学校のご案内
4月5日、イースター(イエス様の復活をお祝いする日)には、お庭でエッグハンティングをしました。みんなとっても真剣、楽しそうでした!
イエス様は、どんな時も僕たち私たちのことを愛してくださって見守ってくださるよ!
教会学校では、きみが来てくれる日を待っているよ!
イエス・キリストとの出会い
神は愛です。(聖書)
クリスチャンにも
教会に初めて来た日や
イエス・キリストとの出会いの
きっかけがあります。
いつどんなふうに
イエス・キリストを信じることになったのか、
ご紹介します。
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一日のうち、イエスさまとの出会いは、早朝においてです。
聖書を一章読み、その後、イエスさまとの語らい(祈り)の時を持ちます。
その時、心にかかっていること、家族の中の心配ごとや、人との関係の中で生じるさまざまな思い、又、なかなか克服できない自らの有様など、そのまま言葉にします。
そうして次第に平安へと導かれていきます。
又、共に歩んでおられる方々や困難な状況に置かれておられる方々のお支えを祈ります。
こうした歩みを通して私自身の内面の変化を感じ、
聖書、箴言4:23にある「何を見張るよりもあなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」
とのみことばを少しずつ実感させていただいています。
(松前台在住・女性)
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生まれ育った田舎の小さな教会の牧師夫人のお招きで、紙芝居を見る機会がありました。そこに描かれているイエスさまが、光輝いていました。
後年仕事先で、書棚に聖書だけのお宅があり、その事を話題に出すと、
ご主人が、私達人間は死ぬと必ず神様の前に立ち裁きを受けると話され、聖書を持っているなら自分で読み始めなさい、と勧められました。
その後伝道者の高橋三郎師に妻も息子も導かれました。
妻は牧師に看取られ召天しました。
イエスさまの十字架と復活そして天上からの聖霊の導きを信じ、
与えられた永遠の命を信じて、御国をめざして日々祈りつつ歩んでいきます。
(常総市在住・男性)
<キリスト教放送のご案内>
IESU/KIRISUTO
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